・・・日本人はその声を聞くが早いか、一股に二三段ずつ、薄暗い梯子を駈け上りました。そうして婆さんの部屋の戸を力一ぱい叩き出しました。 戸は直ぐに開きました。が、日本人が中へはいって見ると、そこには印度人の婆さんがたった一人立っているばかり、も・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・が、幸い父の賢造は、夏外套をひっかけたまま、うす暗い梯子の上り口へ胸まで覗かせているだけだった。「どうもお律の容態が思わしくないから、慎太郎の所へ電報を打ってくれ。」「そんなに悪いの?」 洋一は思わず大きな声を出した。「まあ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・今まで僕の綱と思っていたのは実は綱梯子にできていたのです。「ではあすこから出さしてもらいます。」「ただわたしは前もって言うがね。出ていって後悔しないように。」「大丈夫です。僕は後悔などはしません。」 僕はこう返事をするが早い・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ が、鬼神の瞳に引寄せられて、社の境内なる足許に、切立の石段は、疾くその舷に昇る梯子かとばかり、遠近の法規が乱れて、赤沼の三郎が、角の室という八畳の縁近に、鬢の房りした束髪と、薄手な年増の円髷と、男の貸広袖を着た棒縞さえ、靄を分けて、は・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ ――まさか、十時、まだ五分前だ―― 立っていても、エレベエタアは水に沈んだようで動くとも見えないから、とにかく、左へ石梯子を昇りはじめた。元来慌てもののせっかちの癖に、かねて心臓が弱くて、ものの一町と駆出すことが出来ない。かつて、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・僕は民さん一寸御出でと無理に背戸へ引張って行って、二間梯子を二人で荷い出し、柿の木へ掛けたのを民子に抑えさせ、僕が登って柿を六個許りとる。民子に半分やれば民子は一つで沢山というから、僕はその五つを持ってそのまま裏から抜けて帰ってしまった。さ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ こんな話をしているうちに、跡の二人は食事を済ませ、家根屋の持って来るような梯子を伝って、二階へあがった。相撲取りのように腹のつき出た婆アやが来て、「菊ちゃん、もう済んだの?」と言って、お膳をかたづけた。 いかにも、もう吉弥では・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・彼は二間ほどもない梯子を登り降りするのに胸の動悸を感じた。屋根の端の方へは怖くて近寄れもせなかった。その男は汚ない褌など露わして平気でずぶずぶと凹む軒端へつくばっては、新しい茅を差していた。 彼は屋根の棟に腰かけて、ほかほかと暖かい日光・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ 朽ちかけた梯子をあがろうとして、眼の前の小部屋の障子が開いていた。なかには蒲団が敷いてあり、人の眼がこちらを睨んでいた。知らぬふりであがって行きながら喬は、こんな場所での気強さ、と思った。 火の見へあがると、この界隈を覆っているの・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ある時は、井村がケージの脇の梯子を伝って這い上った。ある時は、五百尺の暗い、冷々とする坑道を示し合して丸太の柵をくゞりぬけた。 彼は、彼女をねらっているのが、技師の石川だけじゃないのに気がついた。監督の阿見も、坂田も、遠藤も彼女をねらっ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
出典:青空文庫