出典:青空文庫
・・・ その時、神崎様が巻煙草の灰を掌にのせて、この灰が貴女には妙と見えませんかと聞くから、私は何でもないというと、だから貴女は駄目だ、凡そ宇宙の物、森羅万象、妙ならざるはなく、石も木もこの灰とても面白からざるはなし、それを左様思わないのは科学の・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・放心について 森羅万象の美に切りまくられ踏みつけられ、舌を焼いたり、胸を焦がしたり、男ひとり、よろめきつつも、或る夜ふと、かすかにひかる一条の路を見つけた! と思い込んで、はね起きる。走る。ひた走りに走る。一瞬間のできごとで・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 六 自然の森羅万象がただ四個の座標の幾何学にせんじつめられるという事はあまりに堪え難いさびしさであると嘆じる詩人があるかもしれない。しかしこれは明らかに誤解である。相対性理論がどこまで徹底しても、やっぱり花は笑・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・ある学者の考えているように森羅万象をことごとく有限な方程式に盛って、あらゆる抽象前提なしに現象を確実に予言することは不可能であって、そのゆえにこそ公算論の成立する余地が存している。そのために吾人の「時」には不可逆の観念が伴なって来る。そのた・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・また一茶には森羅万象が不運薄幸なる彼の同情者慰藉者であるように見えたのであろうと想像される。 小宮君も注意したように恋の句、ことに下品の恋の句に一面滑稽味を帯びているのがある。これは芭蕉前後を通じて俳諧道に見らるる特異の現象であろう。こ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・この考えを更に押し拡め直接筋力と比較する事の出来ぬ種々の引力斥力を考えて森羅万象を整然たる規律の下に整理するのが物理学の主な仕事の一つである。 力の考えから仕事の考えが導かれる。力の作用せる物が動けば力はその物に対して仕事をし、また仕事・・・ 寺田寅彦 「物質とエネルギー」
・・・よく考えると何にもないのに、通俗では森羅万象いろいろなものが掃蕩しても掃蕩しきれぬほど雑然として宇宙に充じゅうじんしている。戸張君ではないが天地前にあり、竹風ここにありと云いたくなるくらいであります。――なぜこんな矛盾が起ったのであろうか。・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・されば意の未だ唱歌に見われぬ前には宇宙間の森羅万象の中にあるには相違なけれど、或は偶然の形に妨げられ或は他の意と混淆しありて容易には解るものにあらず。斯程解らぬ無形の意を只一の感動に由って感得し、之に唱歌といえる形を付して尋常の人にも容易に・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・バルザックは寧ろ、金銭争奪を中心とする社会的森羅万象の只中に日夜揉まれて、自身の大胆な手足から頸根っこまで現世的紛糾に絡みつかれつつ、小説の上にその社会的人間関係を再現しようとするに当っては、自身の上にとびかかって来る雑多な印象、観察、観念・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ 宇宙の森羅万象の根底にひそむ悲哀を悟得し芸術にその糧を得て現世の渦中に身を置く。信念の下に働けば事業は尊い。かくして二十世紀の今日に確乎たる二様生活を行なわんがため、霊的本能主義は神により感得したる信念とその実行とをまっこうに振りかざ・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」