・・・ 銀灰色の靄と青い油のような川の水と、吐息のような、おぼつかない汽笛の音と、石炭船の鳶色の三角帆と、――すべてやみがたい哀愁をよび起すこれらの川のながめは、いかに自分の幼い心を、その岸に立つ楊柳の葉のごとく、おののかせたことであろう。・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・満湖悉ク芙蓉ニシテ々タル楊柳ハ緑ヲ罩ム。雲山烟水実ニ双美ノ地ヲ占メ、雪花風月、優ニ四時ノ勝ヲ鍾ム。是ヲ東京上野公園トナス。其ノ勝景ハ既ニ多ク得ル事難シ。況ヤ此ノ盛都紅塵ノ中ニ在ツテ此ノ秀霊ノ境ヲ具フ。所謂錦上更ニ花ヲ加ル者、蓋亦絶テ無クシテ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・およそ水村の風光初夏の時節に至って最佳なる所以のものは、依々たる楊柳と萋々たる蒹葭とのあるがためであろう。往時隅田川の沿岸に柳と蘆との多く繁茂していたことは今日の江戸川や中川と異る所がなかった。啻に河岸のみならず灌田のために穿った溝渠の中、・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・きりにおもふ慈母の恩慈母の懐抱別に春あり春あり成長して浪花にあり 梅は白し浪花橋辺財主の家 春情まなび得たり浪花風流郷を辞し弟に負て身三春 本をわすれ末を取接木の梅故郷春深し行々て又行々 楊柳長堤道漸くくれたり矯首はじめ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・露の置いた草原を歩み踰えて、古い楊柳の下に繋いだ小舟を解くと、力まかせ水の面を馳け廻ります。子供が大喜びの呼声を上げて野原を馳けるように、我を忘れた嬉しさで櫂を動すのでございます。先生、先生は、月夜に立ちのぼる水の、不思議に蠱惑的な薫りを御・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 凝と坐って耳を傾けると、目の下の湖では淡黄色い細砂に当って溶ける優婉な漣の音が、揺れる楊柳の葉触れにつれて、軽く、柔く、サ……、サ……、と通って来る。心持のよい日だ。 私の周囲を取繞く総てのものは、皆七月の太陽を身に浴びて嬉々とし・・・ 宮本百合子 「追慕」
出典:青空文庫