・・・的必然のヴェールをひきさくことによって、無に沈潜し、人間を醜怪と見、必然に代えるに偶然を以てし、ここに自由の極限を見るのである。サルトルの「アンティミテ」という小説を、私はそんなに感心しているわけでもないし、むしろドイツのケストネルが書いた・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ぶたれて、切られて、または、くすぐられても、その苦しさが極限に達したとき、人は、きっと気を失うにちがいない。気を失ったら夢幻境です。昇天でございます。苦しさから、きれいにのがれる事ができるのです。死んだって、かまわないじゃないですか。けれど・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・ 弛緩の極限を表象するような大きな欠伸をしたときに車が急に止まって前面の空中の黄色いシグナルがパッと赤色に変った。これも赤のあとには青が出、青のあとにはまた赤が出るのである。 これを書き終った日の夕刊第一頁に「紛糾せる予算問題。・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・煙草というものに対するわれわれの概念の拡張の可能性の極限を暗示するものであった。 吉浜へ行っても煙草がなく、菓子がない。黒砂糖でもないかと聞いて歩いたが徒労であった。煙草と菓子の中毒にかかっている文明病患者は、こういうところへ来ると、頭・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・ この日に限って、こうまで目立ってたくさんにいっせいにはじけたというのは、数日来の晴天でいいかげん乾燥していたのが、この日さらに特別な好晴で湿度の低下したために、多数の実がほぼ一様な極限の乾燥度に達したためであろうと思われた。 それ・・・ 寺田寅彦 「藤の実」
・・・人間の眼に感ずる極限といっても判然たるものではない。また写真の種板に感ずるのも照射の時間によって色々になるものである。それで問題も物理的に明白な意味のあるものにするには、例えば海面における光度の百分一とか千分一に減ずる深さ幾何とかいう事にし・・・ 寺田寅彦 「物理学の応用について」
・・・現在科学の極限を見極めずして徒らに奇説を弄するは白昼提灯を照らして街頭に叱呼する盲者の亜類である。方則を疑う前には先ずこれを熟知し適用の限界を窮めなければならぬ。その上で疑う事は止むを得ない。疑って活路を求めるには想像の翼を鼓するの外はない・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・しかしあらゆる可能な漫画家を一団として見る時には、各画家を微分とした無限項の和としての積分は渾然たる一つの定まった極限値を有する「真の」一面と考えるに不都合があるだろうか。 科学上の真を言明するために使用する言語や記号は純化され洗煉され・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・そうしてちょうど四十歳近くで漸近的に一つの極限に接近すると同時に速度は減退して零に近づく。そこでそのままに自然に任せておけばどうなるだろう。たどり付いた漸近線の水準を保って行かれるだろうか。このような疑問の岐路に立ってある人は何の躊躇もなく・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・そのものの性質のなかには、明らかに日本の中世の社会生活からもたらされた被虐性、情感の表現を内へ追い込む性格が作用していて、しかも、ぎりぎりまで剪りこまれた外面へのあらわれの裡に、精神と情緒のほとばしる極限を表現しようとする芸術の手法である。・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
出典:青空文庫