・・・とえば文士渡辺篤君の家庭の夜の風景を表現するとして、そうしてねずみが騒いだり赤ん坊が泣いたり子供が強硬におしっこを要求したりして肝心の仕事ができぬという事件の推移を表現するにしても、何もあれほどまでに概念的、説明的、型録的に一から十までを一・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 海岸に戯れる裸体の男女と、いろいろな動物の一対との交錯的羅列的な編集があるが、すべてが概念的の羅列であって、感じの連続はかなりちぐはぐであり、従って、自分のいわゆる俳諧的編集の場合に起こるような愉快な感じは起こらない。人間も動物も同じ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・こういう点では、下町の素人の芝居好きの劇評のほうがかえって前述のごとき著名なインテリゲンチアの映画批評家の主観的概念的評論よりもはるかに啓発的なことがありうるようである。 こんな不満をいだいていたのであったが、近ごろは立派な有益な批評を・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・えば、ばらの葉につくチューレンジ蜂の幼虫を駆除するに最も簡易で有効な方法を知りたいと思って、いろいろな本を物色してみたが、なるほど、多くの本にはこれに関する簡単な記載はあるが、書き方がたいていきわめて概念的で、本を読んだだけで、具体的に正確・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・神の制作したものには浅はかな人間の概念的な一般化を許さないものがあるのである。 食堂やあるいは電車の中などで、隣席の人のもっているステッキの種類特にその頭部の装飾を見ると、それに現われたその持ち主の趣味がたいていネクタイとか腕時計とか他・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・その当時まだしらみの実物を手にしたことはなかったはずであるが、しかしその絵にはこの虫がだいたい紡錘形をした体躯の両側に数本の足の並んだものとして、写実的にはとにかく、少なくも概念的に正しく描かれているのである。 いよいよ東京を立って横浜・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・この二つの場合のどちらが蓄音機のレコードに適するかを一般的概念的に論断するのは困難ではあるまいか。 蓄音機が完成した暁に望み得られることのうちで私が好ましいと思う一つのものは、あらゆる「自然の音」のレコードである。たとえば山里の夜明けに・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・彼等の絵は概念的抽象的あるいはむしろ科学的なものである。しかしアカデミックな芸術に食傷したものの眼には不思議な慰安と憧憬を感ぜしめる。これはただ牛肉の後に沢庵といいうような意味のものではなく、もっとずっと深い内面的の理由による事と思う。美学・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・型式的概念的に堕した歌人の和歌などとは自ずからちがった自由な自然観が流露している。「青葉になりゆくまで、よろづにたゞ心をのみぞなやます」というような文句でも、国語の先生の講義ではとても述べられない俳諧がある。同じことを云った人が以前に何人あ・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・何だか批評者がそれを見付けて、そして簡単な誰にも分る概念的な言葉で讃美するに恰好なような趣向や設計がありあり眼につく。それを見付けた時には丁度絵捜しをさがしあてたような理知的の満足は得られても、それから後は却ってその点ばかりが眼について仕方・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
出典:青空文庫