・・・私は上着のポケットの中で、ソーッとシーナイフを握って、傍に突っ立ってるならず者の様子を窺った。奴は矢っ張り私を見て居たが突然口を切った。「あそこへ行って見な。そしてお前の好きなようにしたがいいや、俺はな、ここらで見張っているからな」この・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 西宮は二人の様子に口の出し端を失い、酒はなし所在はなし、またもや次の間へ声をかけた。「おい、まだかい」「ああやッと出来ましたよ」と、小万は燗瓶を鉄瓶から出しながら、「そんなわけなんだからね。いいかね、お熊どん。私がまた後でよく・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・たまたま他人の知らせによってその子の不身持などの様子を聞けば、これを手元に呼びて厳しく叱るの一法あるのみ。この趣を見れば、学校はあたかも不用の子供を投棄する場所の如し。あるいは口調をよくして「学校はいらぬ子供のすてどころ」といわばなお面白か・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・わたくしは戸を開けるつもりで戸の傍に歩み寄って、ただちょっとあなたの御様子を開ける前に見たいと存じただけでございます。あなたは心理学者でいらっしゃいますから、これがまたひどく女らしい振舞だとお思いなさいましょうね。 あの一刹那にわたくし・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・そしてそのじいっと坐っている様子の気味の悪い事ったらございません。死人のような目で空を睨むように人の顔を見ています。おお、気味が悪い。あれは人間ではございませんぜ。旦那様、お怒なすってはいけません。わたくしは何と仰ゃっても彼奴のいる傍へ出て・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・二人喰い殺した罪が亡びるようにと、南無大師遍照金剛と吠えながら駈け廻った、八十七個所は落ちなく巡って今一個所という真際になって気のゆるんだ者か、そのお寺の門前ではたと倒れた、それを如何にも残念と思うた様子で、喘ぎ喘ぎ頭を挙げて見ると、目の前・・・ 正岡子規 「犬」
・・・測候所では、太陽の調子や北のほうの海の氷の様子から、その年の二月にみんなへそれを予報しました。それが一足ずつだんだんほんとうになって、こぶしの花が咲かなかったり、五月に十日もみぞれが降ったりしますと、みんなはもうこの前の凶作を思い出して、生・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ドイツからの労働者見学団の若い男女たちは、その収穫の壮大な仕事ぶりを見てきたばかりなので、片言のロシア語やあやしげな英語でさかんにその見事な様子について私に話してきかせる。私がロストフへきていたのもその「ギガント」を見るためなのである。・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・ 山田はその顔を見て、急に思い附いたらしい様子で、小声になって云った。「君はぐんぐん為事を捗らせるが、どうもはたで見ていると、笑談にしているようでならない。」「そんな事はないよ」と、木村は恬然として答えた。 木村が人にこんな・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・その写真の男は Dorian Gray と云う青年はあんなだったかと思うほど美しくて、Edward 七世はあんなだったかと思うほど様子がよかたのです。髪は波を打っています。眉は秀でています。優しい目に男らしい権威がある。口はグレシアの神の像・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
出典:青空文庫