・・・俺は昨夜もう少しで常子の横腹を蹴るところだった。……「十一月×日 俺は今日洗濯物を俺自身洗濯屋へ持って行った。もっとも出入りの洗濯屋ではない。東安市場の側の洗濯屋である。これだけは今後も実行しなければならぬ。猿股やズボン下や靴下にはいつ・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・そのうちに勝負の争いを生じ、一人の水夫は飛び立つが早いか、もう一人の水夫の横腹へずぶりとナイフを突き立ててしまう。大勢の水夫は二人のまわりへ四方八方から集まって来る。 6 仰向けになった水夫の死に顔。突然その鼻の穴から尻・・・ 芥川竜之介 「誘惑」
・・・それをお前帽子に喰着けた金ぴかの手前、芝居をしやがって……え、芝居をしやがったんたが飛んで行って、其の頭蓋骨を破ったので、迸る血烟と共に、彼は階子を逆落しにもんどりを打って小蒸汽の錨の下に落ちて、横腹に大負傷をしたのである。薄地セルの華奢な・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・水色のペンキで塗りつぶした箱の横腹に、「精乳社」と毒々しい赤色で書いてあるのが眼を牽いたので、彼は急ぎながらも、毒々しい箱の字を少し振り返り気味にまでなって読むほどの余裕をその車に与えた。その時車の梶棒の間から後ろ向きに箱に倚りかかっている・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・そして両手で横腹をおさえて、「ゴホン/\/\。」と、せきをしました。するとそのたんびに腹の中から騎兵が十人ずつかたまって、すぽんすぽんととび出しました。町のものは、「うわァうわァ。」とおもしろがって、みんなで手をたたいてはやし立てま・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・ようやくとまったバスの横腹を力まかせに蹴上げた。Kはバスの下で、雨にたたかれた桔梗の花のように美しく伏していた。この女は、不仕合せな人だ。「誰もさわるな!」 私は、気を失っているKを抱きあげ、声を放って泣いた。 ちかくの病院まで・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・路地へはいり路地を抜け路地を曲り路地へ行きついてから私は立ちどまり馬場の横腹をそっと小突いて、僕はこの女のひとを好きなのです。ええ、よっぽどまえからと囁いた。私の恋の相手はまばたきもせず小さい下唇だけをきゅっと左へうごかして見せた。馬場も立・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ 月のない闇黒の一夜、湖心の波、ひたひたと舟の横腹を舐めて、深さ、さあ五百ひろはねえずらよ、とかこの子の無心の答えに打たれ、われと、それから女、凝然の恐怖、地獄の底の細き呼び声さえ、聞えて来るような心地、死ぬることさえ忘却し果てた、・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・私は、まのわるい思いがして、なんの符号であろうか客車の横腹へしろいペンキで小さく書かれてあるスハフ 134273 という文字のあたりをこつこつと洋傘の柄でたたいたものだ。 テツさんと妻は天候について二言三言話し合った。その対話がすんで了・・・ 太宰治 「列車」
・・・この西洋人の車は一方の泥よけがつぶれただけですみ、われわれのバスは横腹が少しへこんでペイントがはがれただけで助かった。肥った赤ら顔の快活そうな老西洋人が一人おり立って、曲がった泥よけをどうにか引き曲げて直した後に、片手を高くさしあげてわれわ・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
出典:青空文庫