・・・現世の歓楽・功名・権勢、さては財産をうちすてねばならぬのこり惜しさの妄執にあるのもある。その計画し、もしくは着手した事業を完成せず、中道にして廃するのを遺憾とするのもある。子孫の計がいまだならず、美田をいまだ買いえないで、その行く末を憂慮す・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・でなくして、病疾其他の原因から夭折し、当然享くべく味うべき生を、享け得ず味わい得ざるを恐るるのである、来世の迷信から其妻子・眷属に別れて独り死出の山、三途の川を漂泊い行く心細さを恐るるのもある、現世の歓楽・功名・権勢、扨は財産を打棄てねばな・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・なぎさに破れた絵日傘が打ち寄せられ、歓楽の跡、日の丸の提灯も捨てられ、かんざし、紙屑、レコオドの破片、牛乳の空瓶、海は薄赤く濁って、どたりどたりと浪打っていた。 緒方サンニハ、子供サンガアッタネ。 秋ニナルト、肌ガカワイテ、ナツカシ・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・この宴会に来たものは、永くその面白さを忘れずにいて、ポルジイが柄にない、気の利いた事をして、のん気に歓楽を極めているのを羨んだ。 こんな風に二人は、この山毛欅に囲まれた片田舎で、これまでにない、面白い一春を過した。春というものの華やかさ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ それとほぼ同じようなわけで、もはや青春の活気の源泉の枯渇しかけた老年者が、映画の銀幕の上に活動する花やかに若やいだキュテーラの島の歓楽の夢や、フォーヌの午後の甘美な幻を鑑賞することによって、若干生理的に若返るということも決して不可能で・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・実際子供やヒステリックな婦人などの場合では、泣いているかと思うと笑っていて、どちらだかわからない場合が多いし、また正常なおとなでも歓楽きわまって哀情を生じたり、愁嘆の場合に存外つまらぬ事で笑いだすような一見不思議な現象がしばしば見らるるので・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・この死滅した昔の栄華と歓楽の殿堂の跡にこんなかよわいものが生き残っていた、石や煉瓦はぽろぽろになっているのに。 酒屋の店の跡も保存されてあった。パン屋の竈の跡や、粉をこねた臼のようなものもころがっていた。娼家の入り口の軒には大きな石の ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・電車線路のいまだ布設せられなかった頃、わたくしは此のあたりの裏町の光景に興味を覚えて之を拙作の小説歓楽というものの中に記述したことがあった。 明治四十二三年の頃鴎外先生は学生時代のむかしを追回せられてヰタセクスアリス及び雁と題する小説二・・・ 永井荷風 「上野」
・・・先生は最初感情の動くがままに小説を書いて出版するや否や、忽ち内務省からは風俗壊乱、発売禁止、本屋からは損害賠償の手詰の談判、さて文壇からは引続き歓楽に哀傷に、放蕩に追憶と、身に引受けた看板の瑕に等しき悪名が、今はもっけの幸に、高等遊民不良少・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・かくの如き江戸衰亡期の妖艶なる時代の色彩を想像すると、よく西洋の絵にかかれた美女の群の戯れ遊ぶ浴殿の歓楽さえさして羨むには当るまい。 * 小石川は東京全市の発達と共に数年ならずしてすっかり見違えるようになってし・・・ 永井荷風 「伝通院」
出典:青空文庫