・・・「御止しなさいましよ。御召しでもよごれるといけません。」 お蓮は婆さんの止めるのも聞かず、両手にその犬を抱きとった。犬は彼女の手の内に、ぶるぶる体を震わせていた。それが一瞬間過去の世界へ、彼女の心をつれて行った。お蓮はあの賑かな家に・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・「いや、串戯は止して……」 そうだ! 小北の許へ行かねばならぬ――と思うと、のびのびした手足が、きりきりと緊って、身体が帽子まで堅くなった。 何故か四辺が視められる。 こう、小北と姓を言うと、学生で、故郷の旧友のようであるが・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・「ほんとに串戯は止して新さん、きづかうほどのことはないのでしょうね。」「いいえ、わけやないんだそうだけれど、転地しなけりゃ不可ッていうんです。何、症が知れてるの。転地さえすりゃ何でもないって。」「そんならようござんすけれど、そし・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・「あれ、止して頂戴、止してよ。」 と浮かした膝を揺ら揺らと、袖が薫って伸上る。「なぜですてば。」「危いわ、危いわ。おとなしい、その優しい眉毛を、落したらどうしましょう。」「その事ですかい。」 と、ちょっと留めた剃刀を・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・「だって、こんな池で助船でも呼んでみたが可い、飛んだお笑い草で末代までの恥辱じゃあないか、あれお止しよ。」 と言うのに、――逆について船がぐいと廻りかけると、ざぶりと波が立った。その響きかも知れぬ。小さな御幣の、廻りながら、遠くへ離・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・と、笑談のようにこの男に言ったら、この場合に適当だろうと、女は考えたが、手よりは声の方が余計に顫いそうなので、そんな事を言うのは止しにした。そこで金を払って、礼を云って店を出た。 例の出来事を発明してからは、まだ少しも眠らなかったので、・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・と、家のものがいうと、おじいさんは、はげ頭を空に向けて、「ああ、風が寒いから止しだ。」といいました。 それから、おじいさんは、それは、また寒がりでありました。けれど、こうした気むずかしやのおじいさんでも、子供は好きでした。 おじ・・・ 小川未明 「ものぐさじじいの来世」
・・・ こんな風で、私は彼の若い新夫人の前で叱られてからは、晩のお膳を彼のところへ運びこむのを止しにした。これに限らず、すべての点で彼が非常に卓越した人間であるということを、気が弱くてついおべっかを言う癖のある私は、酒でも飲むとつい誇張してし・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・と引っ込んで居る人ではなかったのですが、この時は妙に温しく「止しときましょうか」といって、素直にそれを思いとどめました。 十八日、浮腫はいよいよひどく、悪寒がたびたび見舞います。そして其の息苦しさは益々目立って来ました。この日から酸素吸・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・そのレコード止してくれない」聴き手の方の青年はウエイトレスがまたかけはじめた「キャラバン」の方を向いてそう言った。「僕はあのジャッズというやつが大嫌いなんだ。厭だと思い出すととても堪らない」 黙ってウエイトレスは蓄音器をとめた。彼女は断・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
出典:青空文庫