・・・しかも海路を立ち退くとあれば、行く方をつき止める事も出来ないのに違いない。これは自分一人でも、名乗をかけて打たねばならぬ。――左近はこう咄嗟に決心すると、身仕度をする間も惜しいように、編笠をかなぐり捨てるが早いか、「瀬沼兵衛、加納求馬が兄分・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ その内に彼はふと足を止めると、不審そうに行く手を透かして見た。それは彼の家の煉瓦塀が、何歩か先に黒々と、現われて来たからばかりではない、その常春藤に蔽われた、古風な塀の見えるあたりに、忍びやかな靴の音が、突然聞え出したからである。・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・ お蓮は婆さんの止めるのも聞かず、両手にその犬を抱きとった。犬は彼女の手の内に、ぶるぶる体を震わせていた。それが一瞬間過去の世界へ、彼女の心をつれて行った。お蓮はあの賑かな家にいた時、客の来ない夜は一しょに寝る、白い小犬を飼っていたのだ・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ と女房は呼止める。 奴は遁げ足を向うのめりに、うしろへ引かれた腰附で、「だって、号外が忙しいや。あ、号外ッ、」「ちょいと、あれさ、何だよ、お前、お待ッてばねえ。」 衝と身を起こして追おうとすると、奴は駈出した五足ばかり・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・……どれも大事な小児たち――その過失で、私が学校を止めるまでも、地じだんだを踏んでなりと直ぐに生徒を帰したい。が、何でもない事のようで、これがまた一大事だ。いやしくも父兄が信頼して、子弟の教育を委ねる学校の分として、婦、小児や、茱萸ぐらいの・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ただお煩さの余りでも、「こんな姿になるだけは、堅く止める。」と、おっしゃいました。……あの先刻のお一言で、私は死ぬのだけは止めましてございます。先生、――私は、唯今では、名ばかりの貧乏華族、小糸川の家内でございますが。画家 ・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ 言いかけて、お君を犯したことをふと想いだし、何か矛盾めくことを言うようだったから、簡単な訓戒に止めることにした。 軽部はお君と結婚したことを後悔した。しかし、お君が翌年の三月男の子を産むと、日を繰ってみて、ひやっとし、結婚してよか・・・ 織田作之助 「雨」
・・・何だと訊ねると、みんな顔を見合わせて笑う、中には目でよけいな事をしゃべるなと止める者もある。それにかまわずかの水兵の言うには、この仲間で近ごろ本国から来た手紙を読み合うと言うのです。自分。そいつは聞きものだぜひ傍聴したいものだと言って座を構・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・里子は止める間もなかったので僕に続いて部屋に入ったのです。僕は母の前に座るや、『貴女は私を離婚すると里子に言ったそうですが、其理由を聞きましょう。離婚するなら仕ても私は平気です。或は寧ろ私の望む処で御座います。けれども理由を被仰い、是非・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・『わたしも帰って戦争の夢でも見るかな』と、罪のない若旦那の起ちかかるを止めるように『戦争はまだ永く続きそうでございますかな』と吉次が座興ならぬ口ぶり、軽く受けて続くとも続くともほんとの戦争はこれからなりと起ち上がり『また明日の新・・・ 国木田独歩 「置土産」
出典:青空文庫