・・・恐れるのは武人の技倆である。正義それ自身も恐れるに足りない。恐れるのは煽動家の雄弁である。武后は人天を顧みず、冷然と正義を蹂躙した。しかし李敬業の乱に当り、駱賓王の檄を読んだ時には色を失うことを免れなかった。「一抔土未乾 六尺孤安在」の双句・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・彼の徳川時代の初期に於て、戦乱漸く跡を絶ち、武人一斉に太平に酔えるの時に当り、彼等が割合に内部の腐敗を伝えなかったのは、思うに将軍家を始めとして大名小名は勿論苟も相当の身分あるもの挙げて、茶事に遊ぶの風を奨励されたのが、大なる原因をなし・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・体格は骨太の頑丈な作り、その顔は眼ジリ長く切れ、鼻高く一見して堂々たる容貌、気象も武人気質で、容易に物に屈しない。であるからもし武人のままで押通したならば、すくなくとも藩閥の力で今日は人にも知られた将軍になっていたかもしれない。が、彼は維新・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・曰く武人の時、文士何をか為さむと、アヽ果して為すべき事なき乎。 文士筆を揮ふは、猶武人の剣を揮ふが如く、猶、農夫の※内に耕すもの、農夫の家国に対する義務ならば、文士紙を展べて軍民を慰藉するもの、亦必ず文士の家国に対する義務ならざるべから・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・実に、どうにも違い過ぎる。武人が武術に長じているのは自然の事でもあるが、しかし、文人だって、鴎外などはやる時には大いにやった。「僕の震えているのが、わからんか。」などという妙な事を口走ってはいないのである。つかみ合って庭へ落ちて、それから更・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・ 歴史に名を止めたような、えらい武人や学者のどれだけのパーセントが一種のドンキホーテでなかったか。現在眼前に栄えているえらい人達のうちにも、もしかしたら立派なドンキホーテが一人や二人はいるのではないか。そんなことを考えながら帝劇の玄関を・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・を信じて疑わざる者多しといえども、その実際は家にあるとき家風の教を第一として、長じて交わる所の朋友を第二とし、なおこれよりも広くして有力なるは社会全般の気風にして、天下武を尚ぶときは家風武を尚び、朋友武人となり学校また武ならざるをえず。文を・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・源家八幡太郎の子孫に武人の夥しきも、能力遺伝の実証として見るべし。また、武家の子を商人の家に貰うて養えば、おのずから町人根性となり、商家の子を文人の家に養えば、おのずから文に志す。幼少の時より手につけたる者なれば、血統に非ざるも自然に養父母・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・かつ我が儒者はたいがい皆、武人の家に生れたる者にして、文采風流の中におのずから快活の精神を存し、よく子弟を教育してその気風を養い、全国士族以上の者は皆これに靡ざるはなし。改進の用意十分に熟したるものというべし。」云々。 右の如く、我・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・で作者は、古代の近東の封建的な武人生活の悲劇を描こうとしている。人間らしい父と子の情愛の表現にさえ、彼等は生活のしきたりから殺伐な方法をとるしかなく、しかも、その殺伐さをとおして流露しようとする人間らしい父と子の心情を、彼等の支配者が利己と・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
出典:青空文庫