・・・ ところが寛文七年の春、家中の武芸の仕合があった時、彼は表芸の槍術で、相手になった侍を六人まで突き倒した。その仕合には、越中守綱利自身も、老職一同と共に臨んでいたが、余り甚太夫の槍が見事なので、さらに剣術の仕合をも所望した。甚太夫は竹刀・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・最後に直之は武芸のほかにも大竜和尚の会下に参じて一字不立の道を修めていた。家康のこういう直之の首を実検したいと思ったのも必ずしも偶然ではないのだった。…… しかし正純は返事をせずに、やはり次ぎの間に控えていた成瀬隼人正正成や土井大炊頭利・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・元姫君と云われた宗教の内室さえ、武芸の道には明かった。まして宗教の嗜みに、疎な所などのあるべき筈はない。それが、「三斎の末なればこそ細川は、二歳に斬られ、五歳ごとなる。」と諷われるような死を遂げたのは、完く時の運であろう。 そう云えば、・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・は冷やかなり峭楼の秋 十年剣を磨す徒爾に非ず 血家血髑髏を貫き得たり 犬飼現八弓を杖ついて胎内竇の中を行く 胆略何人か能く卿に及ばん 星斗満天森として影あり 鬼燐半夜閃いて声無し 当時武芸前に敵無し 他日奇談世尽く驚く 怪ま・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・のであったり、あるいは強くて情深くて侠気があって、美男で智恵があって、学問があって、先見の明があって、そして神明の加護があって、危険の時にはきっと助かるというようなものであったり、美女で智慮が深くて、武芸が出来て、名家の系統で、心術が端正で・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・止水明鏡のごとくにあらゆるものの姿をその有りのままに写すことができなければならない。武芸の達人が夜半の途上で後ろから突然切りかけられてもひらりと身をかわすことができる、それと同じような心の態度を保つことができなくては、瞬時の間に現われて消え・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・ 習字と漢籍の素読と武芸とだけで固めた吾等の父祖の教育の膳立ては、ともかくも一つのイデオロギーに統一された、筋の通り切ったものであった。明治大正を経た昭和時代の教育のプログラムはそれに比べてたしかにレビュー式である。盛り沢山の刺戟はある・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・家康とその臣佐橋甚五郎という武芸に秀で笛の上手で剃刀のような男とが、一くせも二くせもある人物同士が互に互を嗅ぎ合い、警戒し合う刹那の心理の火花から、佐橋が家康の許を逐電する。二十四年後、朝鮮から来た三人の使者のうち喬僉知と名乗っているのが、・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・口に出して言いつけられぬうちに、何の用事でも果たすような、敏捷な若者で、武芸は同じ年頃の同輩に、傍へ寄りつく者もないほどであった。それに遊芸が巧者で、ことに笛を上手に吹いた。 ある時信康は物詣でに往った帰りに、城下のはずれを通った。ちょ・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・伊織は武芸が出来、学問の嗜もあって、色の白い美男である。只この人には肝癪持と云う病があるだけである。さて二人が夫婦になったところが、るんはひどく夫を好いて、手に据えるように大切にし、七十八歳になる夫の祖母にも、血を分けたものも及ばぬ程やさし・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫