・・・お前さんまだあの人の上沓を穿いて歩くとこは見たことがないでしょう。御覧よ。こうして歩くのだわ。それからおこるとね、こんな風に足踏をしてよ。「なんという下女だい。いつまで立っても珈琲の出しようを覚えはしない。お・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・子どもはこの上歩く事はできません、足はつかれてびっこをひいていました。おかあさんはむすめの美しいからだが横に曲がったのを見ると、もうたまらないで、道のそばにすわって子どもを抱き取りました。子どもはすぐ寝入ってしまいました。 その時鳩がラ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・時間を間違えたんだよ。歩くよりほかは無い。この駅にはもとからバスも何も無いのだ。」と知ったかぶりして鞄を持直し、さっさと歩き出したら、其のとき、闇のなかから、ぽっかり黄色いヘッドライトが浮び、ゆらゆらこちらへ泳いで来ます。「あ、バスだ。・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・どうもそれにしても、ポルジイは余り所嫌わずにそれを連れ歩くようではあるが、それは兎角そうなり易い習だと見れば見られる。しかしドリスを伯爵夫人にするとなると、それは身分不相応の行為である。一大不幸である。どうにかして妨害せねばならぬ。 さ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・と、歩く勇気も何もなくなってしまった。とめどなく涙が流れた。神がこの世にいますなら、どうか救けてください、どうか遁路を教えてください。これからはどんな難儀もする! どんな善事もする! どんなことにも背かぬ。 渠はおいおい声を挙げて泣き出・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 私は、森の中を縫う、荒れ果てた小径を、あてもなく彷徨い歩く。私と並んで、マリアナ・ミハイロウナが歩いている。 二人は黙って歩いている。しかし、二人の胸の中に行き交う想いは、ヴァイオリンの音になって、高く低く聞こえている。その音は、・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・飯を食う処は、その辺から見える山の裾にあったが、ぶらぶら歩くには適度の距離であった。道太はいたるところで少年時代の自分の惨めくさい姿に打つかるような気がしたが、どこも昔ながらの静かさで、近代的産業がないだけに、発展しつつある都会のような混乱・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・明治の初年に狂気のごとく駈足で来た日本も、いつの間にか足もとを見て歩くようになり、内観するようになり、回顧もするようになり、内治のきまりも一先ずついて、二度の戦争に領土は広がる、新日本の統一ここに一段落を劃した観がある。維新前後志士の苦心も・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ と言って、代ってこんにゃく桶をかつぐこともあったが、かつぐのはやっぱり私が上手で、林は百メートルを歩くと、すぐ肩が痛いと言ってやめた。 しかし林が一緒にこんにゃく売りについてきてくれるので、どんなに私は肩身がひろくなったろう。第一・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
昭和二年の冬、酉の市へ行った時、山谷堀は既に埋められ、日本堤は丁度取崩しの工事中であった。堤から下りて大音寺前の方へ行く曲輪外の道もまた取広げられていたが、一面に石塊が敷いてあって歩くことができなかった。吉原を通りぬけて鷲神社の境内に・・・ 永井荷風 「里の今昔」
出典:青空文庫