・・・雲雀は低く飛んで遙かに先へ行って畑の境の茶の木の株に隠れたり又飛んだりして遁げて歩く。赤が吠える声は忽ちに遠くなって畢う。頬白が桑の枝から枝を渡って懶げに飛ぶのを見ると赤は又立ちあがって吠える。桑畑から田から堀の岸を頬白が向の岸へ飛んでなく・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・それで開化の一瞬間をとってカメラにピタリと入れて、そうしてこれが開化だと提げて歩く訳には行きません。私は昨日和歌の浦を見物しましたが、あすこを見た人のうちで和歌の浦は大変浪の荒い所だと云う人がある。かと思うと非常に静かな所だと云う人もある。・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・道を歩く時にも、手を一つ動かす時にも、物を飲食する時にも、考えごとをする時にも、着物の柄を選ぶ時にも、常に町の空気と調和し、周囲との対比や均斉を失わないよう、デリケートな注意をせねばならない。町全体が一つの薄い玻璃で構成されてる、危険な毀れ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・それは足を打ち貫かれた兵卒が、歩ける訳がないのに歩くのと同じだと思い込んでいた。そして、それは全く、全然同じとは云えないにしても、全然違ってもいなかった。 彼はベルの中絶した時に、導火線に完全に火を移し了えはした。 然し、彼が、痛い・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・(暫く物を案ずる様子にてあちこち歩く。舞台の奥にてヴァイオリンの音聞ゆ。物懐しげに人の心を動かす響なり。初めは遠く、次第に近く、終にはその音暖かに充ち渡りて、壁隣の部屋より聞ゆる如音楽だな。何だか不思議に心に沁み入るような調べだ。あの男が下・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・その時は腰の病のおこり始めた時で少し歩くのに困難を感じたが、奈良へ遊ぼうと思うて、病を推して出掛けて行た。三日ほど奈良に滞留の間は幸に病気も強くならんので余は面白く見る事が出来た。この時は柿が盛になっておる時で、奈良にも奈良近辺の村にも柿の・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・まだ伊勢詣りさえしないのだし祖母だって伊勢詣り一ぺんとここらの観音巡り一ぺんしただけこの十何年死ぬまでに善光寺へお詣りしたいとそればかり云っているのだ、ことに去年からのここら全体の旱魃でいま外へ遊んで歩くなんてことはとなりやみんなへ悪くてど・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・お主の細工ものの様な足が一寸も休まずに歩くのを見ると目の廻るほど私は気にかかる――精女 いつもいつも御親切さまに御気をつけ下さいましてほんとうにマア、厚く御礼は申しあげますが急いで居りますから――この山羊の乳を早くもって参らなくてはなり・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・ベルリンのウンテル・デン・リンデンと云う大通りの人道が、少し凸凹のある鏡のようになっていて、滑って歩くことが出来ないので、人足が沙を入れた籠を腋に抱えて、蒔いて歩いています。そう云う時が一番寒いのですが、それでもロシアのように、町を歩いてい・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ ある日曜日に暇を貰って出て歩くついでに、女房は始めてツァウォツキイと知合いになった。その時ツァウォツキイは二色のずぼんを穿いていた。一本の脚は黄いろで、一本の脚は赤かった。髪の毛の間にははでな色に染めた鳥の羽を挿していた。その羽に紐が・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
出典:青空文庫