・・・ 歩道の端を歩いていた兄は、彼の言葉に答える前に、手を伸ばして柳の葉をむしった。「僕はお母さんが死んでも悲しくない。」「嘘つき。」 洋一は少し昂奮して云った。「悲しくなかったら、どうかしていらあ。」「嘘じゃない。」・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・砂利を敷いた歩道の幅はやっと一間か九尺しかなかった。それへまたどの家も同じようにカアキイ色の日除けを張り出していた。「君が死ぬとは思わなかった。」 Sは扇を使いながら、こう僕に話しかけた。一応は気の毒に思っていても、その気もちを露骨・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・疾走する電車の中にいる知人を、歩道をぶらついている最中に眼ざとく見つけるなど朝飯前である。雑閙の中で知人の姿を見つけるのも巧い。ノッポの一徳でもあろうが、とにかく視力はすぐれているらしい。だからと言って、僕はべつに自分が頭脳優秀だとも才能豊・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・私は次郎と二人でその新しい歩道を踏んで、鮨屋の店の前あたりからある病院のトタン塀に添うて歩いて行った。植木坂は勾配の急な、狭い坂だ。その坂の降り口に見える古い病院の窓、そこにある煉瓦塀、そこにある蔦の蔓、すべて身にしみるように思われてきた。・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 新宿の歩道の上で、こぶしほどの石塊がのろのろ這って歩いているのを見たのだ。石が這って歩いているな。ただそう思うていた。しかし、その石塊は彼のまえを歩いている薄汚い子供が、糸で結んで引摺っているのだということが直ぐに判った。 子供に・・・ 太宰治 「葉」
・・・ 十 四、五月頃に新宿駅前から帝都座前までの片側の歩道にヨーヨーを売る老若男女の臨時商人が約二十人居た。それが、七月半ば頃にはもう全く一人も居なくなってしまった。そうしてその頃からマルキシストの転向が新聞紙上・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・ 銀座通りの両側の歩道を歩く人の細かな観察の結果からして、一つの統計的の結果をまとめ上げ、それから「平均人」の歩行経路を描き出すことも可能である。その結果から、「左側通行」の規則が、どの程度まで市民の頭にしみ込んでいるかを判断する一つの・・・ 寺田寅彦 「物質群として見た動物群」
・・・刻茶を飲んだ家の女に教えられた改正道路というのを思返して、板塀に沿うて其方へ行って見ると、近年東京の町端れのいずこにも開かれている広い一直線の道路が走っていて、その片側に並んだ夜店の納簾と人通りとで、歩道は歩きにくいほど賑かである。沿道の商・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ 道路は市中の昭和道路などよりも一層ひろいように思われ、両側には歩道が設けられていたが、ところどころ会社らしいセメント造の建物と亜鉛板で囲った小工場が散在しているばかりで、人家もなく、人通りもない。道の左右にひろがっている空地は道路より・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・ここも平らで上等の歩道なのだ。ただ水があるばかり。「先生、あの崖のどご色変ってるのぁ何してす。」簡だ。崖の色か。〔あれは向うだけは土が落ちたんです。滑って。〕うん。あるある。これが裂罅を温泉の通った証拠だ。玻璃蛋白石の脈だ。・・・ 宮沢賢治 「台川」
出典:青空文庫