・・・しかし歳月の過るに従い、繁激なる近世的都市の騒音と燈光とは全くこの哀調を滅してしまったのである。生活の音調が変化したのである。わたくしは三十年前の東京には江戸時代の生活の音調と同じきものが残っていた。そして、その最後の余韻が吉原の遊里におい・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 凡ては三十六、七年むかしの夢となった。歳月人を俟たず、匆々として過ぎ去ることは誠に東坡が言うが如く、「惆悵す東欄一樹の雪。人生看るを得るは幾清明ぞ。」である。甲戌十月記 永井荷風 「十九の秋」
・・・してみれば古来何千年の労力と歳月を挙げてようやくの事現代の位置まで進んで来たのであるからして、いやしくもこの二種類の活力が上代から今に至る長い時間に工夫し得た結果として昔よりも生活が楽になっていなければならないはずであります。けれども実際は・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・それにもかかわらず、先生が十年の歳月と、十年の精力と、同じく十年の忍耐を傾け尽して、悉くこれをこの一書の中に注ぎ込んだ過去の苦心談は、先生の愛弟子山県五十雄君から精しく聞いて知っている。先生は稿を起すに当って、殆んどあらゆる国語で出版された・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・それから暫く山口の高等学校にいたが、遂に四高の独語教師となって十年の歳月を過した。金沢にいた十年間は私の心身共に壮な、人生の最もよき時であった。多少書を読み思索にも耽った私には、時に研究の便宜と自由とを願わないこともなかったが、一旦かかる境・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・の妻を遺し、東京に来りて更らに第二の妻と結婚して、所謂一妻一妾は扨置き、二妻数妾の滅茶苦茶なれば、子供の厳父に於ける、唯その厳重なる命令に恐入り、何事に就ても唯々諾々するのみ、曾て之に心服する者なし。歳月の間に其子供等は小学を勉強して不孝の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・然らば人事の要用、臨時の便利において如何というに、人間世界の歳月を短きものとし、人生を一代限りのものとし、あたかも今日の世界を挙げて今日の人に玩弄せしめて遺憾なしとすれば、多妻多男の要用便利もあるべし。世事繁多なれば一時夫婦の離れ居ることも・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ 一九三六、七年以後から十年の歳月は、日本の人民とその文学にとって、野蛮と死の期間であった。 実に、この十年の空白の傷は大きく深い。そして、こんにち商業新聞の頁の上に、昭和初頭と同じように講談社、主婦之友出版雑誌の大広告を見るとき、・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・ この評論集に書かれた内容、書かれざる内容をもたらしている八年の歳月は、プロレタリア文学運動が挫かれてのちの日本現代文学が、戦争の拡大と強行の政策に押しまくられて、爪先さがりにとめどもなく、ファシズムへの屈従に追いこまれて行った時代であ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・しかし、露国の革命には五十年の歳月が必要だと言われているくらいだから、今の無知無恥な混乱も露国としてはやむを得ないかもしれぬ。同じ革命がドイツや英国に起こる時には、決してあんな醜態は見せまい。民衆の教養は共同と秩序とを可能にする。現在民衆の・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
出典:青空文庫