・・・それで上に残った者は狂人の如く興奮し、死人の如く絶望し、手足も動かせぬようになったけれども、さてあるべきではありませぬから、自分たちも今度は滑って死ぬばかりか、不測の運命に臨んでいる身と思いながら段下りてまいりまして、そうして漸く午後の六時・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・その二、三をあげれば、天寿をまっとうして死ぬのでなく、すなわち、自然に老衰して死ぬのでなくして、病疾その他の原因から夭折し、当然うけるであろう、味わうであろう生を、うけえず、味わいえないのをおそれるのである。来世の迷信から、その妻子・眷属に・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・(体を悪くしていた源吉は死ぬ前にどうしても、青森に残してきた母親に一度会いたいとよくそう言っていた。二十三だった。源吉が、二日前の雨ですっかり濁って、渦 * * 飯がすむと、棒頭が皆を空地に呼・・・ 小林多喜二 「人を殺す犬」
・・・そして寒い凍え死ぬような一冬を始めてこの山の上で越した時分には風邪ばかり引いていた彼の身体にも、いくらかの抵抗する力が出来たことを悦んだ。ビッショリ汗をかきながら家へ戻って見ると、その年も畠に咲いた馬鈴薯の白い花がうなだれていた。雨に打たれ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・同情する自分と同情される他者との矛盾が、死ぬか生きるかの境まで来ると、そろそろ本体を暴露して来はしないか。まず多くの場合に自分が生きる。よっぽど濃密の関係で自分と他者と転倒しているくらいの場合に、いわば病的に自分が死ぬる。または極局身後の不・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・「はあ死ぬまで会われんのかいと思うたに」と母親が言う。自分は小さい時の乳母にでも会ったような心持がする。しばらくいろいろの話をする。 やがて双た親は掘りはじめる。枯れ萎れた茎の根へ、ぐいと一と鍬入れて引き起すと、その中にちらりと猿の・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・まだ天国の事なんか考えずともよろしい。死ぬ前には生きるという事があるんだから」 で鳩はまた百姓の言ったかわいそうな奥さんが夏を過ごしている、大きないなかの住宅にとんで行きました。その時奥さんは縁側に出て手ミシンで縫物をしていました。顔は・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・この家の、足のわるい十七の女中に、死ぬほど好かれている。次女は、二十一歳。ナルシッサスである。ある新聞社が、ミス・日本を募っていたとき、あのときには、よほど自己推薦しようかと、三夜身悶えした。大声あげて、わめき散らしたかった。けれども、三夜・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・で、そう言ってももちろん死ぬ気はなかった。心の底にははなばなしい凱旋を夢みていた。であるのに、今忽然起こったのは死に対する不安である。自分はとても生きて還ることはおぼつかないという気がはげしく胸を衝いた。この病、この脚気、たといこの病は治っ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・おれはヨオロッパのために死ぬる。ヨオロッパの平和のために死ぬる。国家の行政のために死ぬる。文化のために死ぬる。 襟は遺言をもって検事に贈る。どうとも勝手にするがいい。 故郷を離れて死ぬるのはせつない。涙が翻れて、もうあとは書けない。・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
出典:青空文庫