・・・秘密、秘密、何もかも一切秘密に押込めて、死体の解剖すら大学ではさせぬ。できることならさぞ十二人の霊魂も殺してしまいたかったであろう。否、幸徳らの躰を殺して無政府主義を殺し得たつもりでいる。彼ら当局者は無神無霊魂の信者で、無神無霊魂を標榜した・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・矢っ張りそれは死体だった。そして極めて微かに吐息が聞えるように思われた。だが、そんな馬鹿なこたあない。死体が息を吐くなんて――だがどうも息らしかった。フー、フーと極めて微かに、私は幾度も耳のせいか、神経のせいにして見たが、「死骸が溜息をつい・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 二人の子供たちは、今まで、方々の仕事場で、幾つも幾つも、惨死した屍体を見るのに馴れていた。物珍らしそうに見ていたので、殴り飛ばされたりした事もあった。 けれども、自分の父親が、そんな風にして死ぬものとは思わなかった。だのに、今、二・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・その同じ時刻に、安岡が最期の息を吐き出す時に、旅行先で深谷が行方不明になった。 数日後、深谷の屍骸が渚に打ち上げられていた。その死体は、大理石のように半透明であった。 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・窮屈なというのは狭い棺に死体を入れる許りでなく、其死体がゆるがぬように何かでつめるのが厭やなのである。余が故郷などにてはこのつめ物におが屑を用いる。半紙の嚢を二通りに拵えてそれにおが屑をつめ、其嚢の上には南無阿弥陀仏などと書く。これはつめ処・・・ 正岡子規 「死後」
・・・山脈は若い白熊の貴族の屍体のようにしずかに白く横たわり、遠くの遠くを、ひるまの風のなごりがヒュウと鳴って通りました。それでもじつにしずかです。黒い枕木はみな眠り、赤の三角や黄色の点々、さまざまの夢を見ている時、若いあわれなシグナルはほっと小・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・十日も経って、沼から彼等の長靴があがり、やっと死体が発見された。或る村では、都会から派遣された集団農場の組織者が、窓越しに鉄砲を射たれて死んだ。せっかく村へよこされたトラクターが深夜何者かによって破壊されたという例は一再ならず我々の耳目にさ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・この間新聞に、通称ママといわれる売笑婦が焼跡の空きビルで屍体となって発見されたという記事がありました。世界には有名なゾラの小説でナナという売笑婦がありました。ミミという売笑婦もいました。ルルという女もいます。同じ字を二つ重ねた売笑婦の愛嬌の・・・ 宮本百合子 「自覚について」
・・・そして、六日午前五時すぎ、小菅刑務所のわきの五反野南町のガード下で、無残な轢死体としての下山総裁が発見された。 日本じゅうに非常なセンセーションがまきおこった。五日の午前九時すぎ下山総裁が三越で自動車をのりすててから死体となって発見され・・・ 宮本百合子 「「推理小説」」
・・・ 秋三は勘次にそう云って棺を横に倒すと安次の死体の傍へ近寄せた。 二人は安次の身体を転がしながら、棺の中へ掻き寄せようとした。が、張り切った死人の手足が縁に閊えて嵌らなかった。秋三は堅い柴を折るように、膝頭で安次の手足の関節をへし折・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫