・・・ 言わんか、「死屍に鞭打つ。」言わんか、「窮鳥を圧殺す。」八日。 かりそめの、人のなさけの身にしみて、まなこ、うるむも、老いのはじめや。九日。 窓外、庭の黒土をばさばさ這いずりまわっている醜き秋の蝶を見る。並はず・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・そういう時にいつでも結局いちばん得をするのは、こういう犠牲者の死屍にむちうつパリサイあたりの学者と僧侶たちかもしれない。こんな事を考えているうちに、それなら金もうけに熱中して義理を欠く人はどうかという問題にぶつかって少しむつかしくなって来た・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・あたりの空気には、死屍のような臭気が充満して、気圧が刻々に嵩まって行った。此所に現象しているものは、確かに何かの凶兆である。確かに今、何事かの非常が起る! 起きるにちがいない! 町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑鬧して、静かに音・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・「きみの口の周りは、まるで死屍でも食ったように、泥だらけだよ。洗ったらいいだろう。どうしたんだね」 深谷が、静かに言った。 が、その顔には、鬼気があふれていた。 それっきり、安岡は病気になってしまった。その五、六日後から・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ けれども、若し、明日、彼を、冷たい、動かない死屍として見なければならなかったら、どうでしょう! 心が息を窒めてしまいます。 私がそれを信じ、それに遵おうと思わずにはいられない愛の理想的状態と、真実に反省して見出した愛の現状との・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・自分に不当な苦痛や罵詈を与えた者達は、最後まで正しかった者の死屍に対して、どんな悔恨に撃たれながら、頭を垂れるだろう、白い衣を着せられ、綺麗な花で飾った柩に納められた自分が、最後の愛情によって丁寧に葬られる様子が、まざまざと目前に浮み上って・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・について語っていた時分、十歳年下のトルストイはセバストウポリの要塞で戦争の恐ろしい光景を死屍の悪臭とともに目撃していた。パリでトルストイに一生忘られない戦慄を与えたのは娼婦のあでやかな流眄ではなくて、ギロチンにかけられた死刑囚の頭と胴とが別・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
・・・二、緑の騎士では p.320 以下ナンシーから八里へだたっているN町の機械工弾圧の光景描写 職工町がすべてとざされて、町の水のみ場の水は猫の死屍でよごされて、八月の炎天の下にくるしむ兵卒 ゾラより Vivid だ。〔欄外に・・・ 宮本百合子 「「緑の騎士」ノート」
出典:青空文庫