・・・おれはこれから引き返して、釣銭の残りを取って来るわ。」と云った。喜三郎はもどかしそうに、「高が四文のはした銭ではございませんか。御戻りになるがものはございますまい。」と云って、一刻も早く鼻の先の祥光院まで行っていようとした。しかし甚太夫は聞・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ いきなり仁右衛門が猿臂を延ばして残りを奪い取ろうとした。二人は黙ったままで本気に争った。食べるものといっては三枚の煎餅しかないのだから。「白痴」 吐き出すように良人がこういった時勝負はきまっていた。妻は争い負けて大部分を掠奪さ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 乏しい様子が、燐寸ばかりも、等閑になし得ない道理は解めるが、焚残りの軸を何にしよう…… 蓋し、この年配ごろの人数には漏れない、判官贔屓が、その古跡を、取散らすまい、犯すまいとしたのであった――「この松の事だろうか……」 ―・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・省作はあわてて、「はま公、芋の残りはないか。芋がたべたい」「ありますよ」「それじゃとってくろ」 それから省作はろくろく繩もなわず、芋を食ったり猫をおい回したり、用もないに家のまわりを回って見たりして、わずかに心のもしゃくしゃ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・それが予備軍のくり出される時にも居残りになったんで、自分は上官に信用がないもんやさかいこうなんのやて、急にやけになり、常は大して飲まん酒を無茶苦茶に飲んだやろ、赤うなって僕のうちへやって来たことがある。僕などは、『召集されないかて心配もなく・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・御風聴被成下店繁昌仕ありがたき仕合に奉存製法入念差上来候間年増し御疱瘡流行の折ふし御軽々々御仕上被遊候御言葉祝ひのかるかるやき水の泡の如く御いものあとさへ取候御祝儀御進物にはけしくらゐほどのいもあとも残り不申候やうにぞんじけしをのぞき差上候・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・国は小さく、民は尠く、しかして残りし土地に荒漠多しという状態でありました。国民の精力はかかるときに試めさるるのであります。戦いは敗れ、国は削られ、国民の意気鎖沈しなにごとにも手のつかざるときに、かかるときに国民の真の価値は判明するのでありま・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・おばあさんは、あわてて箱の中へ残りの品物を入れています。あや子は、おばあさんが気の毒になって、自分の急いで帰らなければならぬことも忘れて、おばあさんにてつだってやりました。おばあさんはたいそう喜びました。 やがてそれらの箱を小さな車に積・・・ 小川未明 「海ほおずき」
・・・私は十五分の予定だったその放送を十分で終ってしまったが、端折った残りの五分間で、「皆さん、僕はあんな小説を書いておりますが、僕はあんな男ではありません」と絶叫して、そして「あんな」とは一体いかなることであるかと説明して、もはや「あんな」の意・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・争い立てる峰々は残りなく影を涵して、漕ぎ行く舟は遠くその上を押し分けて行く。松が小島、離れ岩、山は浮世を隔てて水は長えに清く、漁唱菱歌、煙波縹緲として空はさらに悠なり。倒れたる木に腰打ち掛けて光代はしばらく休らいぬ。風は粉膩を撲ってなまめか・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫