・・・ 松山に渡った一行は、毎日編笠を深くして、敵の行方を探して歩いた。しかし兵衛も用心が厳しいと見えて、容易に在処を露さなかった。一度左近が兵衛らしい梵論子の姿に目をつけて、いろいろ探りを入れて見たが、結局何の由縁もない他人だと云う事が明か・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・彼れは雪焼けと潮焼けで真黒になって帰って来た。彼れの懐は十分重かった。仁右衛門は農場に帰るとすぐ逞しい一頭の馬と、プラオと、ハーローと、必要な種子を買い調えた。彼れは毎日毎日小屋の前に仁王立になって、五カ月間積り重なった雪の解けたために膿み・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・別荘の女中が毎日時分が来れば食物を持って来る。何時も寝る処に今は威張って寝て、時々は人に摩られに自分から側へ寄るようになった。そうしてクサカは太った。時々は子供たちが森へ連て行く。その時は尾を振って付いて行って、途中で何処か往ってしまう。し・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・あんな荷物をどっさり持って、毎日毎日引越して歩かなくちゃならないとなったら、それこそ苦痛じゃないか。A 飯のたんびに外に出なくちゃならないというのと同じだ。B 飯を食いに行くには荷物はない。身体だけで済むよ。食いたいなあと思った時、・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ と女房は、毎日のように顔を見る同じ漁場の馴染の奴、張ものにうつむいたまま、徒然らしい声を懸ける。 片手を懐中へ突込んで、どう、してこました買喰やら、一番蛇を呑んだ袋を懐中。微塵棒を縦にして、前歯でへし折って噛りながら、縁台の前へに・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・屋根裏から顔を出して先生と呼ぶのは、水害以来毎日手伝いに来てくれる友人であった。 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・あの狭い練兵場で、毎日、毎日、朝から晩まで、立てとか、すわれとか、百メートルとか、千メートルとか、云うて、戦争の真似をしとるんかと思うと、おかしうもなるし、あほらしうもなるし、丸で子供のままごとや。えらそうにして聨隊の門を出て来る士官はんを・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ その頃牛込の神楽坂に榎本という町医があった。毎日門前に商人が店を出したというほど流行したが、実収の多いに任して栄耀に暮し、何人も妾を抱えて六十何人の児供を産ました。その何番目かの娘のおらいというは神楽坂路考といわれた評判の美人であって・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・この心掛けをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、われわれの生涯は決して五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水の辺りに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じてゆくものであると思います。けっして竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
一 さよ子は毎日、晩方になりますと、二階の欄干によりかかって、外の景色をながめることが好きでありました。目のさめるような青葉に、風が当たって、海色をした空に星の光が見えてくると、遠く町の燈火が、乳色のもやのうちから、ちらちらとひ・・・ 小川未明 「青い時計台」
出典:青空文庫