・・・そしてとにかく彼は私なぞとは比較にならないほど確乎とした、緊張した、自信のある気持で活きているのだということが、私を羨ましく思わせたのだ。 私はまた彼の後について、下宿に帰ってきた。そして晩飯の御馳走になった。私は主人からひどく叱られた・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・溪もそこまでは――というとすこし比較が可笑しくなるが――鮎が上って来た。そしてその乗合自動車のやって来る起点は、ちょうどまたこの溪の下流のK川が半町ほどの幅になって流れているこの半島の入口の温泉地なのだった。 温泉の浴場は溪ぎわから厚い・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・ところが先生僕と比較すると初から利口であったねエ、二月ばかりも辛棒していたろうか、或日こんな馬鹿気たことは断然止うという動議を提出した、その議論は何も自からこんな思をして隠者になる必要はない自然と戦うよりか寧ろ世間と格闘しようじゃアないか、・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・コーヘンの『純粋意志の倫理学』と、ギヨーの『義務と制裁のない倫理学』とを比較するならば、その個性の対比は文芸作品の個性の差異の如くいちじるしい。所詮倫理学は死せる概念の積木細工ではなくして、活きた人間存在の骨組みある表現なのである。この骨組・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・電信隊の兵タイは、蟇口から自分の札を出して、比較してみた。「違わないね。……実際、Five なんか一分も違わず刷れとるじゃないか。」「どれ/\。」 局へ内地の新聞を読みに来ている、二三人の居留民が、好奇心に眼を光らせて受付の方へやっ・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・これはこの源三が優しい性質の一角と云おうか、いやこれがこの源三の本来の美しい性質で、いかなる人をも頼むまいというようなのはかえって源三が性質の中のある一角が、境遇のために激せられて他の部よりも比較的に発展したものであろうか。 お浪は今明・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・近時諸種の訳書に比較して見よ。如何に其漢文に老けたる歟が分るではない乎。而して其著「理学鈎玄」は先生が哲学上の用語に就て非常の苦心を費したもので「革命前仏蘭西二世紀事」は其記事文の尤も精采あるものである。而して先生は殊に記事文を重んじた。先・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・いまさら他の連中なんかと比較しなさんな。お池の岩の上の亀の首みたいなところがあるぞ。稿料はいったら知らせてくれ。どうやら、君より、俺の方が楽しみにしているようだ。たかだか短篇二つや三つの註文で、もう、天下の太宰治じゃあちょいと心細いね。君は・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・例えばある牧場の面積を測る事、他所のと比較する事などを示す。寺塔を指してその高さ、その影の長さ、太陽の高度に注意を促す。こうすれば、言葉と白墨の線とによって、大きさや角度や三角函数などの概念を注ぎ込むよりも遥かに早く確実に、おまけに面白くこ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・然リト雖モ其ノ諸ヲ吉原ニ比較スレバ縦ヘ大楼ト謂フ可キモ亦カノ半籬ニモ及ブ可カラズ。其ノ余ハ推シテ量ル可キナリ矣。」 根津の遊里は斯くの如く一時繁栄を極めたが、明治二十一年六月三十日を限りとして取払われ、深川洲崎の埋立地に移転を命ぜられた・・・ 永井荷風 「上野」
出典:青空文庫