・・・ 同時に多くのイズムは、零砕の類例が、比較的緻密な頭脳に濾過されて凝結した時に取る一種の形である。形といわんよりはむしろ輪廓である。中味のないものである。中味を棄てて輪廓だけを畳み込むのは、天保銭を脊負う代りに紙幣を懐にすると同じく小さ・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・僕は比較的良家の生れ、子供の時に甘やかされて育った為に、他人との社交について、自己を抑制することができないのである。その上僕の風変りな性格が、小学生時代から仲間の子供とちがって居たので、学校では一人だけ除け物にされ、いつも周囲から冷たい敵意・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・あの善さんたア比較物にもなりゃしないもの」「どうして善さんを吉里さんは情夫にしたんだろうね。最初は、気の毒になるほど冷遇ッてたじゃアないかね」「それがよくなったんだろうさ」「吉里さんは浮気だもの」「だッて、浮気で惚れられるよ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・然るに此男子をば余処にして独り女子を警しむ、念入りたる教訓にして有難しとは申しながら、比較的に方角違いと言う可きのみ。一 婦人は夫の家を我家とする故に唐土には嫁を帰るといふなり。仮令夫の家貧賤成共夫を怨むべからず。天より我に与へ・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 曙覧の歌は比較的に何集の歌に最も似たりやと問わば、我れも人も一斉に『万葉』に似たりと答えん。彼が『古今』、『新古今』を学ばずして『万葉』を学びたる卓見はわが第一に賞揚せんとするところなり。彼が『万葉』を学んで比較的善くこれを模し得たる・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・必ず比較をされなければならないいまの学童たちの内奥からの反響です。 2 狼森と笊森、盗森人と森との原始的な交渉で、自然の順違二面が農民に与えた永い間の印象です。森が子供らや農具をかくすたびに、みんなは「探しに行くぞお」と叫び・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・「男の学生に比較すれば量において少いし、人間的生長といった面でも遅れているように見受けられます」と。わたしは正直なところこの御返事の気分に不満なのです。日本の女学校教育は特別なものであったから、共学がはじまってまだほんの僅かしかたたない今日・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・わたくしがこの空車とある物をのせた車とを比較して、優劣を論ぜようなどと思わぬこともまた言をまたない。たといそのある物がいかに貴き物であるにもせよ。大正五年五月 森鴎外 「空車」
・・・新感覚が清少納言に比較して野蛮人のごとく鈍重に感じられると云うことは、清少納言の官能が文明人のごとく象徴的混迷を以って進化することが不可能であったと感じられることと等しくなる。生活の感覚化 或る人は云う。「感覚派も根本から感・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・ 私は近ごろ彼の『赤い室』をゾラの『パリ』と比較してみた。彼がゾラの影響の下にその処女作を書いたことは疑いがない。しかし驚くべき事は三十歳の青年が自然主義の初期にすでにゾラを追い越しモウパッサンの先を歩いていたことである。題目とねらい所・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫