姓氏の一。
もうりたかちか【毛利敬親】
[1819〜1871]江戸末期の長州藩主。村田清風を登用して藩政を改革。尊王攘夷を主張し、蛤御門 (はまぐりごもん) の変では敗れて官位を剝奪されたが、のち薩摩と結び、倒幕を実現。
もうりてるもと【毛利輝元】
[1553〜1625]安土桃山時代の武将。元就 (もとなり) の孫。織田信長に反抗し、豊臣秀吉の攻撃を受けたが、本能寺の変によって和睦。のち、秀吉に仕えて五大老の一人となったが、関ヶ原の戦いで西軍に参加したため、所領を長門・周防 (すおう) 2国に削られた。
もうりもとなり【毛利元就】
[1497〜1571]戦国時代の武将。陶晴賢 (すえはるかた) ・大内義長・尼子義久らを滅ぼし、山陰・山陽10か国を領有する戦国大名となった。隆元・元春・隆景の三子に与えた一族団結を説く教訓は、三本の矢の教えとして有名。
出典:gooニュース
総合学習、集大成の発表会 南毛利中学校、学年の垣根越え〈厚木市・愛川町・清川村〉
厚木市立南毛利中学校(足立由里校長/恩名)で12月5日、全学年による総合学習の発表会が行われた。今年度の総合学習の山場として生徒らが学年を越えて交流し、互いの学習内容への理解を深めることを目的に行われているもの。1年生が鎌倉校外学習、2年生がSDGs学習と職業インタビュー、3年生が修学旅行と3年間のSDGs学習の総まとめを発表。
毛利家と前田家の共通点に着目した歴史講演会 山口・防府市で21日
桃山時代に五大老として豊臣政権を支え、江戸時代以降は製塩事業や造園に手腕を発揮した毛利家と、前田家。両家の共通点に着目した講演会「毛利さま と 前田さま」が21日、防府市の地域交流センター「アスピラート」で開かれる。入場無料。 桃山時代、毛利輝元と前田利家は共に五大老として豊臣政権を支えた。
「毛利家は天下を望まない」秀吉に恩を売った智将・小早川隆景の判断力
一方、信長の死を知った毛利軍の陣中では、元春はじめ、「謀られての講和など無効。追撃すべし」とする声が圧倒的だった。しかし、「すでに誓書を交わした以上、それを反古にするのは毛利家の"信義"に反する」とし、それでも納得しない者たちに「父・元就公の教戒により、当家は天下を競望しないことになっている」と戦いを禁じた(同書ほか)。
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