・・・あの雨じみのある鼠色の壁によりかかって、結び髪の女が、すりきれた毛繻子の帯の間に手を入れながら、うつむいてバケツの水を見ている姿を想像したら、やはり小説めいた感じがした。 猿股を配ってしまった時、前田侯から大きな梅鉢の紋のある長持へ入れ・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・村落に病躯を持帰るのも厭わしかったと見えて、野州上州の山地や温泉地に一日二日あるいは三日五日と、それこそ白雲の風に漂い、秋葉の空に飄るが如くに、ぶらりぶらりとした身の中に、もだもだする心を抱きながら、毛繻子の大洋傘に色の褪せた制服、丈夫一点・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・覗いたように折れた其端が笠の内を深くしてそれが耳の下で交叉して顎で結んだ黒い毛繻子のくけ紐と相俟って彼等の顔を長く見せる。有繋に彼等は見えもせぬのに化粧を苦にして居る。毛繻子のくけ紐は白粉の上にくっきりと強い太い線を描いて居る。削った長い木・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 毛繻子張り八間の蝙蝠の柄には、幸い太い瘤だらけの頑丈な自然木が、付けてあるから、折れる気遣はまずあるまい。その自然木の彎曲した一端に、鳴海絞りの兵児帯が、薩摩の強弓に新しく張った弦のごとくぴんと薄を押し分けて、先は谷の中にかくれている・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ 店の繁盛なことや、暮しのいいことなどを、しまいに唇の角から唾を飛ばせながら喋る番頭の傍について、在の者のしきたり通り太い毛繻子の洋傘をかついだ禰宜様は、小股にポクポクとついて行ったのである。 海老屋では、家事を万事とりしきってして・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫