・・・ 母の枕もとの盆の上には、大神宮や氏神の御札が、柴又の帝釈の御影なぞと一しょに、並べ切れないほど並べてある。――母は上眼にその盆を見ながら、喘ぐように切れ切れな返事をした。「昨夜、あんまり、苦しかったものですから、――それでも今朝は・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・余りの事ゆえ尋ねるが、おのれとても、氏子の一人じゃ、こう訊くのも、氏神様の、」 と厳に袖に笏を立てて、「恐多いが、思召じゃとそう思え。誰が、着るよ、この白痴、蜘蛛の巣を。」「綺麗なのう、若い婦人じゃい。」「何。」「綺麗な・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・……何だかこの二三日、鬱込んでいらっしゃるから、貴方の氏神様もおんなじ、天神様へおまいりをなさいまし、私も一所にッて、とても不可ないと思って強請ったら、こうして連れて来てくれたんですもの。草葉の蔭でもどんなに喜んでいるか知れませんよ。早・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・勇ましい、遠い船出から、あなたのお帰りなさる日を、氏神にご無事を祈って、お待ちしています。」といいました。 こう女にいわれて、喜ばぬ男はなかったでありましょう。若者は、大いにはしゃいで、このあいだもらって、秘蔵していた指輪を、その娘に与・・・ 小川未明 「海のまぼろし」
・・・ この河童の尻が、数え年二百歳か三百歳という未だうら若い青さに痩せていた頃、嘘八百と出鱈目仙人で狐狸かためた新手村では、信州にかくれもなき怪しげな年中行事が行われ、毎年大晦日の夜、氏神詣りの村人同志が境内の暗闇にまぎれて、互いに悪口を言・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・ 氏神の前にそう誓ったのである。やがて、庄之助は長いお祈りを終えると、「さア帰ろう」 と、寿子の小さな手を握った。ヴァイオリン弾きになるには、あまりにも小さ過ぎる手であった。 そして、庄之助はわき眼もふらずに、そわそわと歩き・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・ 天婦羅だけでは立ち行かぬから、近所に葬式があるたびに、駕籠かき人足に雇われた。氏神の夏祭には、水着を着てお宮の大提燈を担いで練ると、日当九十銭になった。鎧を着ると三十銭あがりだった。種吉の留守にはお辰が天婦羅を揚げた。お辰は存分に材料・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・で想い出すのは子供の頃に見た郷里の氏神の神田の田植の光景である。このときの晴れの早乙女には村中の娘達が揃いの紺の着物に赤帯、赤襷で出る。それを見物に行く町の若い衆達のうちには不思議な嗜被虐性変態趣味をもった仲間が交じっていたようである。とい・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・日本の諸国にあるこの種の部落的タブーは、おそらく風俗習慣を異にした外国の移住民や帰化人やを、先祖の氏神にもつ者の子孫であろう。あるいは多分、もっと確実な推測として、切支丹宗徒の隠れた集合的部落であったのだろう。しかし宇宙の間には、人間の知ら・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
出典:青空文庫