・・・麻服の上着なしで、五分刈り頭にひげのない丸顔にはおよそ屈託や気取りの影といったものがない。リットルのビールを二杯注文して第一杯はただひと息、第二杯は三口か四口に飲んでしまって、それからお皿に山盛りのチキンライスか何かをペロペロと食ってしまっ・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・曾て東京に一士人あり、頗る西洋の文明を悦び、一切万事改進進歩を気取りながら、其実は支那台の西洋鍍金にして、殊に道徳の一段に至りては常に周公孔子を云々して、子女の教訓に小学又は女大学等の主義を唱え、家法最も厳重にして親子相接するにも賓客の如く・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・れば甚だ佳しといえども、文明の事は有形の門より入るもの多きの例なれば、婦人の教育についてもその形を先にし、先ず衣裳を改めて文明の風を装い、交際を開いて文明の盛事を学び、只管外国婦人の所業に傚うて活溌を気取り、外面の虚飾を張りてかえって裏面の・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・野心、気取り、虚飾、空威張、凡そこれらのものは色気と共に地を払ってしまった。昔自ら悟ったと思うて居たなどは甚だ愚の極であったということがわかった。今まで悟りと思うて居たことが、悟りでなかったということを知っただけがむしろ悟りに近づいた方かも・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ 義太夫語りの様なゼイゼイした太い声を出して、何ぞと云っては、「ウハハハハと豪傑を気取り、勿体をつけて、ゆすりあげて笑った。 色の小白い、眼の赤味立った、細い体を膳の上にのしかけて、せっせと飯を掻込んで居る恭二のピク・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 当時のジイドの風貌は黒羅紗の大きな帽子をかぶり、痩せて清らかで、同時に重々しく気取り、オスカア・ワイルドが「僕は君の唇が気に入らないんだ。一度も嘘をついたことのない奴の唇みたいに真直じゃないか」と笑いこけた、その唇から特異な言葉をぽつ・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・ こんな気取りのない調子で、いろいろ複雑な生活の観察も書かれたらルポルタージュとしてよいものが出来るだろうと思いました。 仕事場書き抜き 藤川睿子 地方の町で洋服仕立屋をやっている娘の生活やその気持が出ていると思います。しかし・・・ 宮本百合子 「新女性のルポルタージュより」
・・・こしらえた気取りは一つもないが、描こうとする一つ一つの対象にたいして、作者の内面的全構成が統一をもってまともにとりくみ、深められるだけ深くひろく考え、眺め、皮相的に反映するのではなく、自分をとおして文学の現実として再現しようとしているから文・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・ 少し婦人雑誌で名が売れると一つ二つ著作してもう文士気取りでカフェーをほっつき廻る。 文士と云う名から気に入らないしその裡にゴチャゴチャになってホイホイして居る女の人達ももう一層嫌いだ。 千世子は亢奮した口調でこんな事を云った。・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・と言ったという話を、その後聞いたことがあるが、人によるとこの態度を気取りと受け取ったかもしれない。しかし私はどこにもポーズのあとを感じなかった。因襲的な礼儀をぬきにして、いきなり漱石に会えたような気持ちがした。たぶんこの時の印象が強かったせ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫