・・・新蔵は勿論中っ腹で、お敏の本心を聞かない内は、ただじゃ帰らないくらいな気組でしたから、墨を流した空に柳が聳えて、その下に竹格子の窓が灯をともした、底気味悪い家の容子にも頓着せず、いきなり格子戸をがらりとやると、狭い土間に突立って、「今晩は。・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・白い歯は見せないぞという気持ちが、世故に慣れて引き締まった小さな顔に気味悪いほど動いていた。 彼にはそうした父の態度が理解できた。農場は父のものだが、開墾は全部矢部という土木業者に請負わしてあるので、早田はいわば矢部の手で入れた監督に当・・・ 有島武郎 「親子」
・・・なんだかあわれな人のようにも見え、また気味悪いようにも感じられたのです。「東京から乗ったのです。そして、つぎのつぎの、停車場で下りますの。」「着くと暗くなりますの。」 おばあさんは、それぎりだまってしまいました。雪の曠野を走って・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・人形は新しいものとは思われないほどに古びていましたけれど、額ぎわを斬られて血の流れたのや、また青い顔をして、口から赤い炎を吐いている女や、また、顔が六つもあるような人間の気味悪いものの外に、鳥やさるや、ねこなどの顔を造ったものが幾つもならん・・・ 小川未明 「空色の着物をきた子供」
・・・ありがもりもりと巣から出るように、地底から、気味悪い迫力をもって、社会の表面へ出ようとするのを感ぜずにはいられません。 もう一つ、これと連想するものに、児童の問題があります。 長い間、児童等の生活は、その責任と義務を、家庭と学校・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・盛りあがった気味悪い肉が内部から覗いていた。またある痕は、細長く深く切れ込み、古い本が紙魚に食い貫かれたあとのようになっている。 変な感じで、足を見ているうちにも青く脹れてゆく。痛くもなんともなかった。腫物は紅い、サボテンの花のようであ・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・おのれの生涯の不幸が、相かわらず鉄のようにぶあいそに膠着している状態を目撃して、あたしは、いつも、こうなんだ、と自分ながら気味悪いほどに落ちついた。 ドアの外で正服の警官がふたり見張りしていることをやがて知った。どうするつもりだろう。忌・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・如何に幸福な平和な冬籠の時節であったろう。気味悪い狐の事は、下女はじめ一家中の空想から消去って、夜晩く行く人の足音に、消魂しく吠え出す飼犬の声もなく、木枯の風が庭の大樹をゆする響に、伝通院の鐘の音はかすれて遠く聞える。しめやかなランプの光の・・・ 永井荷風 「狐」
・・・見も知らぬ気味悪い部屋、怪気な寝床の淋しさが続いて来る。私には何がさて置き自分の寝床ほど大切なものはない。寝床は人生の神聖なる殿堂である。人は生活を赤裸々にして羽毛蒲団の暖さと敷布の真白きが中に疲れたる肉を活気付けまた安息させねばならぬ。・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・ 口に云えない程の柔かさと弱い輝を持った気味悪い程丸味のある一体の輪廓は、煙った様に、雨空と、周囲の黒ずんだ線から区切られて居る。 私はじいっと見て居る。 絶え間なくスルスル……スルスル……と落ちて来る雨は此の木の上にも他のどれ・・・ 宮本百合子 「雨が降って居る」
出典:青空文庫