・・・ それからMは気軽そうにティッペラリイの口笛を吹きはじめた。 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・そうして襖一つ向うの座敷へ、わざと気軽そうにはいって行った。 そこは突き当りの硝子障子の外に、狭い中庭を透かせていた。中庭には太い冬青の樹が一本、手水鉢に臨んでいるだけだった。麻の掻巻をかけたお律は氷嚢を頭に載せたまま、あちら向きにじっ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 房子はようやく気軽そうに、壁側の籐椅子から身を起した。「また今夜も御隣の坊ちゃんたちは、花火を御揚げなさるかしら。」 老女が房子の後から、静に出て行ってしまった跡には、もう夾竹桃も見えなくなった、薄暗い空虚の客間が残った。する・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・ 彼はちょっと頷いた後、わざとらしく気軽につけ加えた。「何か本を貸してくれないか? 今度君が来る時で善いから。」「どんな本を?」「天才の伝記か何かが善い。」「じゃジァン・クリストフを持って来ようか?」「ああ、何でも旺・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・ お妻が……言った通り、気軽に唄いもし、踊りもしたのに、一夜、近所から時借りの、三味線の、爪弾で……丑みつの、鐘もおとなき古寺に、ばけものどしがあつまりア…… ――おや、聞き馴れぬ、と思う、うたの続きが糸に紛れた。―・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ その時、この気軽そうな爺さんが、重たく点頭した。「……阿武隈川が近いによって、阿武沼と、勿体つけるで、国々で名高い、湖や、潟ほど、大いなものではねえだがなす、むかしから、それを逢魔沼と云うほどでの、樹木が森々として凄いでや、めった・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・竜の口と称えて、ここから下の滝の伏樋に通ずるよし言伝える、……危くはないけれど、そこだけは除けたが可かろう、と、……こんな事には気軽な玉江が、つい駆出して仕誼を言いに行ったのに、料理屋の女中が、わざわざ出て来て注意をした。「あれ、あすこ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・だった、お町はにこにこしながら、伯父さん腹がすいたでしょうが、少し待って下さい、一寸思いついた御馳走をするからって、何か手早に竈に火を入れる、おれの近くへ石臼を持出し話しながら、白粉を挽き始める、手軽気軽で、億劫な風など毛程も見せない、おれ・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・ 博物の教師は、あごにひげをはやしている、きわめて気軽な人でありましたが、いつも剥製の鳥を、なんだろう? ついぞ見たことのない鳥だが、と思っていました。男が、気むずかしい顔をして仕事をしているので、つい口を出さずにいましたが、ある日のこ・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・汗かきの登勢だったが、姑をはばかって、ついぞこれまでそんなことをしたことはなく、今は誰はばからぬ気軽さに水しぶきが白いからだに降りかかって、夢のようであった。 蚊帳へ戻ると、お光、千代の寝ている上を伊助の放った螢が飛び、青い火が川風を染・・・ 織田作之助 「螢」
出典:青空文庫