・・・の信号を掲げたということはおそらくはいかなる戦争文学よりもいっそう詩的な出来事だったであろう。しかし僕は十年ののち、海軍機関学校の理髪師に頭を刈ってもらいながら、彼もまた日露の戦役に「朝日」の水兵だった関係上、日本海海戦の話をした。すると彼・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・勿論水兵や機関兵はこの命令の下った時から熱心に鼠狩りにとりかかった。鼠は彼等の力のために見る見る数を減らして行った。従って彼等は一匹の鼠も争わない訣には行かなかった。「この頃みんなの持って来る鼠は大抵八つ裂きになっているぜ。寄ってたかっ・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・「そこでじゃ諸君、可えか、その熊手の値を聞いた海軍の水兵君が言わるるには、可、熊手屋、二円五十銭は分った、しかしながらじゃな、ここに持合わせの銭が五十銭ほか無い。すなわちこの五十銭を置いて行く。直ぐに後金の二円を持って来るから受取ってお・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・働いたのは島の海女で、激浪のなかを潜っては屍体を引き揚げ、大きな焚火を焚いてそばで冷え凍えた水兵の身体を自分らの肌で温めたのだ。大部分の水兵は溺死した。その溺死体の爪は残酷なことにはみな剥がれていたという。 それは岩へ掻きついては波に持・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・ 自分の入って来たのを見て、いきなり一人の水兵が水雷長万歳と叫ぶと、そこらにいた者一斉に立って自分を取り巻き、かの大杯を指しつけた。自分はその一二を受けながら、シナの水兵は今時分定めて旅順や威海衛で大へこみにへこんでいるだろう、一つ彼奴・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・軍艦の水兵たちや、戦地に行った者たちが、内地からの郵便物を恐ろしく焦れ待つことは、多くの者の経験するところで、後年の文学にたび/\出てくるが、独歩は既に、そのことをこゝに書いている。また、支那の僻陬の地の農民たちは、日清戦争があったことも、・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ 水兵服を着た小柄な女が、四畳半のほうから、ぴょこんと出て来た。丸顔の健康そうな頬をした少女であった。眼もおそれを知らぬようにきょとんと澄んでいた。「おおやさんだよ。ご挨拶をおし。うちの女です。」 僕はおやおやと思った。先刻の青・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ 学校からのかえりみち、ふらと停車場に立寄り、上野までの切符を買い、水兵服のままで、汽車に乗った。東京は、さちよを待ちかまえていた。さちよを迎えいれるやいなや、せせら笑ってもみくちゃにした。投げ捨てられた鼻紙のように、さちよは転々して疲・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ 近在の人らしい両親に連れられた十歳くらいの水兵服の女の子が車に酔うて何度ももどしたりして苦しそうであるが、苦しいともいわずに大人しく我慢しているのが可哀相であった。白骨温泉へ行くのだそうで沢渡で下りた。子供も助かったであろうが自分もほ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・頂上の測候所へ行って案内を頼むと水兵が望遠鏡をわきの下へはさんで出て来ていろいろな器械や午砲の装薬まで見せてくれる、一シリングやったら握手をした。…… 夕飯後に甲板へ出て見るとまっ黒なホンコンの山にはふもとから頂上へかけていろいろの灯が・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫