・・・ 婆さんは水口の腰障子を開けると、暗い外へ小犬を捨てようとした。「まあ御待ち、ちょいと私も抱いて見たいから、――」「御止しなさいましよ。御召しでもよごれるといけません。」 お蓮は婆さんの止めるのも聞かず、両手にその犬を抱きと・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・通りすぎながら、二人が尻眼に容子を窺うと、ただふだんと変っているのは、例の鍵惣が乗って来た車だけで、これは遠くで眺めたのよりもずっと手前、ちょうど左官屋の水口の前に太ゴムの轍を威かつく止めて、バットの吸殻を耳にはさんだ車夫が、もっともそうに・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・「ちょっと、あの水口を留めて来ないか、身体の筋々へ沁み渡るようだ。」「御同然でございまして……ええ、しかし、どうも。」「一人じゃいけないかね。」「貴方様は?」「いや、なに、どうしたんだい、それから。」「岩と岩に、土橋・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 干潮の刻限である為か、河の水はまだ意外に低かった。水口からは水が随分盛んに落ちている。ここで雨さえやむなら、心配は無いがなアと、思わず嘆息せざるを得なかった。 水の溜ってる面積は五、六町内に跨がってるほど広いのに、排水の落口という・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・それは浴場についている水口で、絶えず清水がほとばしり出ているのである。また男女という想像の由って来るところもわかっていた。それは溪の上にだるま茶屋があって、そこの女が客と夜更けて湯へやって来ることがありうべきことだったのである。そういうこと・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・「そんならなんだっておれのほうへ水こないように水口とめないんだ。」「なんだっておまえのほうへ水行かないように水口とめないかったって、あすこはおれのみな口でないから水とめないのだ。」 となりの男は、かんかんおこってしまってもう物も・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ 女中はハイハイとうけ合って居たっけがそのまんま忘れて午後になって見ると大根の切っ端やお茶がらと一緒に水口の「古馬けつ」の中に入って居る。「オヤオヤヘエー」って云いたい気になった。 別に腹も立たない。 其のまんまに仕て置く。・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・玉子売りのときのように知らない家の水口から一太が一人で、「こんちは」と訪ねるのではない。母親がそのときは一太の手をひいて玄関から、「今日は、御免下さい」と、お客になって行くのであった。一太が一々覚えていない程、その玄関はいろ・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・などと、とりとめのない事を考えて居ると、水口の油障子が、がたごと云って、お金が帰って来た。 薄い毛を未練らしく小さい丸髷にして、鼠色のメリンスの衿を、町方の女房のする様に沢山出して、ぬいた、お金の、年にそぐわない厭味たっぷりの姿・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・そのよくよく日も四日許置いてからも又小さい包をもったお清の姿が水口の前にあらわれた。そのつどに小さい手にはいくつかの銭がにぎられた。 私の知って居る人でやっぱりお清さんと云う名の人が居る。年頃も丁度同じくらいで。 東京のお清さんは大・・・ 宮本百合子 「同じ娘でも」
出典:青空文庫