・・・岸に近く、船宿の白い行灯をうつし、銀の葉うらを翻す柳をうつし、また水門にせかれては三味線の音のぬるむ昼すぎを、紅芙蓉の花になげきながら、気のよわい家鴨の羽にみだされて、人けのない廚の下を静かに光りながら流れるのも、その重々しい水の色に言うべ・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・そこへ案内もなく、ずかずかと入って来て、立状にちょっと私を尻目にかけて、炉の左の座についた一人があります――山伏か、隠者か、と思う風采で、ものの鷹揚な、悪く言えば傲慢な、下手が画に描いた、奥州めぐりの水戸の黄門といった、鼻の隆い、髯の白い、・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・寺の前を通る道は、古い水戸街道なんだそうだね。」「はあ、そうでなす。」「ぬかるみを目の前にして……さあ、出掛けよう。で、ここへ私が来る道だ。何が出ようとこの真昼間、気にはしないが、もの好きに、どんな可恐い事があったと聞くと、女給と顔・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・朝夕忙しく、水門が白むと共に起き、三つ星の西に傾くまで働けばもちろん骨も折れるけれど、そのうちにまた言われない楽しみも多いのである。 各好き好きな話はもちろん、唄もうたえばしゃれもいう。うわさの恋や真の恋や、家の内ではさすがに多少の遠慮・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・元治年中、水戸の天狗党がいよいよ旗上げしようとした時、八兵衛を後楽園に呼んで小判五万両の賦金を命ずると、小判五万両の才覚は難かしいが二分金なら三万両を御用立て申しましょうと答えて、即座に二分金の耳を揃えて三万両を出したそうだ。御一新の御東幸・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・一生妻子を養うことが出来れば、六百円の保証金も安いものだと胸算用してか、大阪、京都、神戸をはじめ、東は水戸から西は鹿児島まで、ざっと三十人ばかりの申し込みがあった。なけなしの金をはたいたのか、無理算段したのかいずれにしてもあまり余った金では・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・潮退きて洲あらわれ鳥の群、飛び回る。水門を下ろす童子あり。灘村に舟を渡さんと舷に腰かけて潮の来るを待つらん若者あり。背低き櫨堤の上に樹ちて浜風に吹かれ、紅の葉ごとに光を放つ。野末はるかに百舌鳥のあわただしく鳴くが聞こゆ。純白の裏羽を日にかが・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・甲府市の下宿。甲府市郊外の家。東京都下三鷹町。甲府水門町。甲府新柳町。津軽。 忘れているところもあるかも知れないが、これだけでも既に二十五回の転居である。いや、二十五回の破産である。私は、一年に二回ずつ破産してはまた出発し直して生きて来・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ 志木の近くの水門で釣をしている人がある。運転手が橋の上で車を止めて通りかかった老爺に、何が釣れるかと聞いた。少し耳の遠いらしい老人は車の窓へ首を突込むようにして、「マアはやくらいだね。河が真直ぐになったからもう何も居ねえや」と云って眼・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・その水門がくずれたままになっているのも画趣があった。池の対岸の石垣の上には竹やぶがあって、その中から一本の大榎がそびえているが、そのこずえの紅や黄を帯びた色彩がなんとも言われなく美しい。木の影には他の工場の倉庫らしい丹塗りの単純な建物が半面・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫