・・・と云って兵衛が生きたにせよ、彼自身が命を墜したら、やはり永年の艱難は水泡に帰すのも同然であった。彼はついに枕を噛みながら、彼自身の快癒を祈ると共に、併せて敵瀬沼兵衛の快癒も祈らざるを得なかった。 が、運命は飽くまでも、田岡甚太夫に刻薄で・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ その人に傲らない態度が、伝右衛門にとっては、物足りないと同時に、一層の奥床しさを感じさせたと見えて、今まで内蔵助の方を向いていた彼は、永年京都勤番をつとめていた小野寺十内の方へ向きを換えると、益、熱心に推服の意を洩し始めた。その子供ら・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ 譚永年は僕と同期に一高から東大の医科へはいった留学生中の才人だった。「きょうは誰かの出迎いかい?」「うん、誰かの、――誰だと思う?」「僕の出迎いじゃないだろう?」 譚はちょっと口をすぼめ、ひょっとこに近い笑い顔をした。・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ミスラ君は永年印度の独立を計っているカルカッタ生れの愛国者で、同時にまたハッサン・カンという名高い婆羅門の秘法を学んだ、年の若い魔術の大家なのです。私はちょうど一月ばかり以前から、ある友人の紹介でミスラ君と交際していましたが、政治経済の問題・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・明日の授受が済むまでは、縦令永年見慣れて来た早田でも、事業のうえ、競争者の手先と思わなければならぬという意識が、父の胸にはわだかまっているのだ。いわば公私の区別とでもいうものをこれほど露骨にさらけ出して見せる父の気持ちを、彼はなぜか不快に思・・・ 有島武郎 「親子」
・・・それには、従来永年この農場の差配を担任していた監督の吉川氏が、諸君の境遇も知悉し、周囲の事情にも明らかなことですから、幾年かの間氏をわずらわして実務に当たってもらうのがいちばんいいかと私は思っています。永年の交際において、私は氏がその任務を・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・ブルジョアジーをなくするためには、この階級が自己防衛のために永年にわたって築き上げたあらゆる制度および機関をプロレタリアの手中に収め、矛を逆にしてブルジョアジーを亡滅に導かねばならぬ。ブルジョアジーが亡滅すれば、その所産なるすべての制度およ・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・その僕の感想文というのは、階級意識の確在を肯定し、その意識が単に相異なった二階級間の反目的意識に止まらず、かかる傾向を生じた根柢に、各階級に特異な動向が働いているのを認め、そしてその動向は永年にわたる生活と習慣とが馴致したもので、両階級の間・・・ 有島武郎 「片信」
・・・お母さんは永年お民さんをかわいがって御いでですから、お民さんの気質は解って居りましょう。私もこうして一年御厄介になって居てみれば、お民さんはほんと優しい温和しい人です。お母さんに少し許り叱られたって、それを悔しがって泣いたりなんぞする様な人・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・田所さんは仏家の出で、永年育児事業をやっている眉毛の長い人で、冗談を言ってはひょいと舌を出す癖のあるおもしろい人でした。田所さんのお嬢さんは舞をならっているそうです。 新聞にはその日のうちに西と東に別れたように書いていたけれど、秋山さん・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫