・・・ 銀灰色の靄と青い油のような川の水と、吐息のような、おぼつかない汽笛の音と、石炭船の鳶色の三角帆と、――すべてやみがたい哀愁をよび起すこれらの川のながめは、いかに自分の幼い心を、その岸に立つ楊柳の葉のごとく、おののかせたことであろう。・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・ その内に八時の上り列車は長い汽笛を鳴らしながら、余り速力を早めずに堤の上を通り越した。保吉の捉える下り列車はこれよりも半時間遅いはずだった。彼は時計を出して見た。しかし時計はどうしたのか、八時十五分になりかかっていた。彼はこの時刻の相・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・俄然汽笛の声は死黙を劈きて轟けり。万事休す! と乗客は割るるがごとくに響動きぬ。 観音丸は直江津に安着せるなり。乗客は狂喜の声を揚げて、甲板の上に躍れり。拍手は夥しく、観音丸万歳! 船長万歳! 乗合万歳! 八人の船子を備えたる艀は直・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・ピューと汽笛が応じて、車は闇中に動き出した。音ばかり長い響きを曳いて、汽車は長岡方面へ夜のそくえに馳せ走った。 予は此の停車場へ降りたは、今夜で三回であるが、こう真暗では殆んど東西の見当も判らない。僅かな所だが、仕方がないから車に乗ろう・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・そして、急に、いままできこえなかった、遠くで鳴る、汽笛の音などが耳にはいるのでした。「まあ、青い、青い、星!」 電車の停留場に向かって、歩く途中で、ふと天上の一つの星を見て、こういいました。その星は、いつも、こんなに、青く光っていた・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・毎朝、五時に汽笛が鳴るのですが、いつもこの二つは前後して、同じ時刻に鳴るのでした。 二つの工場の屋根には、おのおの高い煙突が立っていました。星晴れのした寒い空に、二つは高く頭をもたげていましたが、この朝、昨日どちらの工場の汽笛が早く鳴っ・・・ 小川未明 「ある夜の星たちの話」
・・・このとき、遠く北の方の海で汽笛の音がかすかに聞こえたのでありました。三人はまたその音を聞いて心の中でいろいろの空想にふけりました。「さあ話すよ。」と丙はいった。そのりこうそうな黒いかわいらしい目に星の光がさしてひらめきました。「・・・ 小川未明 「不死の薬」
・・・が、私はそれよりも、沖に碇泊した内国通いの郵船がけたたましい汽笛を鳴らして、淡い煙を残しながらだんだん遠ざかって行くのを見やって、ああ、自分もあの船に乗ったら、明後日あたりはもう故郷の土を踏んでいるのだと思うと、意気地なく涙が零れた。海から・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ 蒸気船の汽笛の音をきいた途端に、逐電しやがったとわかり、薄情にもほどがあると、すぐあとを追うて、たたきのめしてくれようと、一旦は起ち上がったが、まさか婆さんを置き去りにするわけにもいかず、折柄、「――古座谷はん、済まへんけど、しし・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 好きになりましたよと言い掛けた途端、発車のベルが鳴り、そして汽笛の響きが言葉を消してしまった。 そして、汽車が動きだした。「さよなら」「さよなら」 白崎は、ああ、俺は最後に一番まずいことを言ってしまった。俺はいつも何々・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
出典:青空文庫