・・・ 追分は軽井沢、沓掛とともに浅間根腰の三宿といわれ、いまは焼けてしまったが、ここの油屋は昔の宿場の本陣そのままの姿を残し、堀辰雄氏、室生犀星氏、佐藤春夫氏その他多くの作家が好んでこの油屋へ泊りに来て、ことに堀辰雄氏などは一年中の大半をこ・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・を読んでいたら、その中に、「或夏、信州の沓掛の温泉で、先生がいたずらに私の子供にお湯をぶっかけられた所、子供が泣き出した。先生は悲し相な顔をして、『俺のすることは皆こんなもんだ、親切を仇にとられる。』と言われた。」 という一章が在っ・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・ 沓掛駅の野天のプラットフォームに下りたった時の心持は、一駅前の軽井沢とは全く別である。物々しさの代りに心安さがある。 星野温泉行のバスが、千ヶ滝道から右に切れると、どこともなくぷんと強い松の匂いがする。小松のみどりが強烈な日光に照・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
去年の夏信州沓掛駅に近い湯川の上流に沿うた谷あいの星野温泉に前後二回合わせて二週間ばかりを全く日常生活の煩いから免れて閑静に暮らしたのが、健康にも精神にも目に見えてよい効果があったように思われるので、ことしの夏も奮発して出・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・なるほど、星野でも千が滝でも沓掛でも軽井沢でもまだ一匹も猫の姿を見ない。それが東京の宅の付近だと、一町も歩くうちにきっと一匹ぐらいは見つかるような気がする。日々に訪れて来るのら猫の数でも少なくはない。なぜだろう。宿の人に聞いてみると、いない・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
一 ほととぎすの鳴き声 信州沓掛駅近くの星野温泉に七月中旬から下旬へかけて滞在していた間に毎日うるさいほどほととぎすの声を聞いた。ほぼ同じ時刻にほぼ同じ方面からほぼ同じ方向に向けて飛びながら鳴くことがしばし・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・ 二 盆踊りとあひる 二度目に沓掛へ来たのが八月十三日である。ひと月前の七月十三日の夜には哲学者のA君と偶然に銀座の草市を歩いて植物標本としての蒲の穂や紅花殻を買ったりしたが、信州では八月の今がひと月おくれの盂蘭盆で・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・しかし、その少し前にこの夏泊った沓掛の温泉宿の池に居る家鴨が大きな芋虫を丸呑みにしたことを想い出していた。それ以外にはどうしてもそれらしい聯想の鎖も見付からないのである。青い芋虫と真紅の肉片、家鴨と眇目の老人では心像の変形が少しひど過ぎるが・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
七月十七日朝上野発の「高原列車」で沓掛に行った。今年で三年目である。駅へ子供達が迎いに来ていた。プラットフォームに下り立ったときに何となく去年とはあたりの勝手が違うような気がしたがどこがどうちがったかということがすぐとは気・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・しかしやはり前日家人と沓掛行きの準備について話をしたとき、今度行ったらグリーンホテルで泊まってそこでたまっている仕事を片付けようと思う、というようなことも言った覚えがある。しかし、グリーンホテルを緑屋などと訳してみた覚えは全然ないのであるが・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
出典:青空文庫