・・・ 梯子の下に立った洋一は、神山と一しょに電話帳を見ながら、彼や叔母とは没交渉な、平日と変らない店の空気に、軽い反感のようなものを感じない訳には行かなかった。 三 午過ぎになってから、洋一が何気なく茶の間へ来・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・それほど私は賑な下座の囃しと桜の釣枝との世界にいながら、心は全然そう云うものと没交渉な、忌わしい色彩を帯びた想像に苦しめられていたのです。ですから中幕がすむと間もなく、あの二人の女連れが向うの桟敷にいなくなった時、私は実際肩が抜けたようなほ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・しかし実戦に臨んで来た牧野は、そう云う連中とは没交渉に、ただにやにやと笑っていた。「戦争もあの通りだと、楽なもんだが、――」 彼は牛荘の激戦の画を見ながら、半ば近所へも聞かせるように、こうお蓮へ話しかけた。が、彼女は不相変、熱心に幕・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ けれどもプラットフォオムの人々は彼の気もちとは没交渉にいずれも、幸福らしい顔をしていた。保吉はそれにも苛立たしさを感じた。就中海軍の将校たちの大声に何か話しているのは肉体的に不快だった。彼は二本目の「朝日」に火をつけ、プラットフォオム・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・ 勿論我我の歯痛などは世界の歴史には没交渉であろう。しかしこう云う自己欺瞞は民心を知りたがる政治家にも、敵状を知りたがる軍人にも、或は又財況を知りたがる実業家にも同じようにきっと起るのである。わたしはこれを修正すべき理智の存在を否みはしない・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・彼らはじつにいっさいの人間の活動を白眼をもって見るごとく、強権の存在に対してもまたまったく没交渉なのである――それだけ絶望的なのである。 かくて魚住氏のいわゆる共通の怨敵が実際において存在しないことは明らかになった。むろんそれは、かの敵・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・真に少数なる読書階級の一角が政治論に触るゝ外は一般社会は総ての思想と全く没交渉であって、学術文芸の如きは遊戯としての外は所謂聡明なる識者にすら顧みられなかった。 二十五年前には文学士春の屋朧の名が重きをなしていても、世間は驚異の目をって・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ 例えば私たちが展覧会へ行って多くの画の前に立った時、我々の生活と没交渉なものゝ余りに多過ぎる事を痛感する。勿論、これらの作と雖も或る特殊階級の人々には必要なものかも知れぬが、然し此等の作品が民衆的であるべき目的を度外視して、或る特殊な・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・そして睡眠は時雨空の薄日のように、その上を時どきやって来ては消えてゆくほとんど自分とは没交渉なものだった。吉田はいくら一日の看護に疲れても寝るときが来ればいつでもすやすやと寝ていく母親がいかにも楽しそうにもまた薄情にも見え、しかし結局これが・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・それでは馬琴が描いた小説中の人物は当時の実社会とはまるで交渉が無いかというと、前々から申しました通り、直接には殆ど関係が無いのでありますが、決して実社会と没交渉無関係ではありませんように考えられます。 それならどういう風に関係が有ったろ・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
出典:青空文庫