・・・建てて数十年を経たる古家なれば、掃除は手綺麗に行届きおれども、そこら煤ぼりて余りあかるからず、すべて少しく陰気にして、加賀金沢の市中にてもこのわたりは浅野川の河畔一帯の湿地なり。 園生は、一重の垣を隔てて、畑造りたる裏町の明地に接し、李・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・しかしてわれ今再びこの河畔に立ってその泉流の咽ぶを聴き、その危厳のそびゆるを仰ぎ、その蒼天の地に垂れて静かなるを観るなり。日は来たりぬ、われ再びこの暗く繁れる無花果の樹陰に座して、かの田園を望み、かの果樹園を望むの日は再び来たりぬ。 わ・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・又禹の治水にしても、洪水は黄土の沈澱によりて起る黄河の特性にして、河畔住民の禍福に關すること極めて大なるもの也。よく之を治するは仁君ともいふを得べし。然るに『書經』は支那のあらゆる河川が堯の時以來氾濫し居たりしに、禹はその一代に之を治したり・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・一段降りて河畔の運動場へ出ると、男女学生の一と群が小鳥のごとく戯れ遊んでいた。男の方がたいてい大人しくしおらしくて女の方がたいて活溌で度胸がいいのがこうした群に共通な現象のようである。神代以来の現象かもしれない。カメラを持った男のきっと交じ・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ただあまりわざとらしいような芝居が割合に少なく思われたのは成効かもしれない。河畔の営舎の昼飯後の場面が、どこかのどかでものうげで、そうして日光がまぶしいといったような気持ちをだしている。そこにかえって「裏側から見た戦争」というものがわりによ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 冒頭のドニエプル河畔の茫漠たる風景も静的である。こういう自然の中に生まれた国民のまねを日本人がしようとするのはほんとうに無意義なことである。 この映画は文部省あたりの思想善導映画として使われうる可能性をもっている。これは皮肉ではな・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・観音の境内や第六区の路地や松屋の屋上や隅田河畔のプロムナードや一銭蒸汽の甲板やそうした背景の前に数人の浅草娘を点出して淡くはかない夢のような情調をただよわせようという企図だとすれば、ある程度までは成効しているようである。ただもう一息という肝・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・そうして河畔に茂った「せんだん」の花がほろほろこぼれているような夏の日盛りの場面がその背景となっているのである。 父はいろいろの骨董道楽をしただけに煙草道具にもなかなか凝ったものを揃えていた。その中に鉄煙管の吸口に純金の口金の付いたのが・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・ 河畔の蘆の中でしきりに葭切が鳴いている。草原には矮小な夾竹桃がただ一輪真赤に咲いている。綺麗に刈りならした芝生の中に立って正に打出されようとする白い球を凝視していると芝生全体が自分をのせて空中に泛んでいるような気がしてくる。日射病の兆・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・ペンク氏は「どこかエルベ河畔に似ている」と言う。…… ……宿の小僧に連れられて電車で徐家ジカウェイの測候所を見に行く。郊外へ出ると麦の緑に菜の花盛りでそら豆も咲いている。百姓屋の庭に、青い服を着て坊主頭に豚の尾をたらした小児が羊を繩でひ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫