姓氏の一。
かわたけしげとし【河竹繁俊】
[1889〜1967]演劇研究家。長野の生まれ。黙阿弥 (もくあみ) 家の養嗣子。坪内逍遥 (つぼうちしょうよう) に師事。早大演劇博物館館長として活躍。著「歌舞伎史の研究」「日本演劇全史」など。
かわたけしんしち【河竹新七】
歌舞伎脚本作者。 (初世)[1746〜1795]幼名、竹三郎。俳号、能進。江戸で活躍し、浄瑠璃・世話物に長じた。作「垣衣恋写絵 (しのぶぐさこいのうつしえ) 」など。 (2世)河竹黙阿弥の前名。 (3世)[1842〜1901]江戸の人。本名、菊川金太郎。前名、竹柴金作。俳号、是水。河竹黙阿弥の高弟。江戸で活躍し、講談・人情噺 (ばなし) などの脚色物が多い。作「塩原多助一代記」「籠釣瓶花街酔醒 (かごつるべさとのえいざめ) 」など。
かわたけもくあみ【河竹黙阿弥】
[1816〜1893]幕末・明治初期の歌舞伎脚本作者。江戸の人。本姓、吉村。幼名、新七。俳号、其水 (きすい) 。5世鶴屋南北に入門、勝諺蔵 (かつげんぞう) を名のり、のち2世河竹新七を襲名。晩年は古河黙阿弥と称した。江戸歌舞伎を大成、近代の劇への橋渡しをした人で、世話物を得意とし、散切 (ざんぎり) 物・活歴物も試みた。作「蔦紅葉宇都谷峠 (つたもみじうつのやとうげ) 」「三人吉三廓初買 (さんにんきちさくるわのはつがい) 」「天衣紛上野初花 (くもにまごううえののはつはな) 」など。