・・・が、蔵前の煙突も、十二階も、睫毛に一眸の北の方、目の下、一雪崩に崕になって、崕下の、ごみごみした屋根を隔てて、日南の煎餅屋の小さな店が、油障子も覗かれる。 ト斜に、がッくりと窪んで暗い、崕と石垣の間の、遠く明神の裏の石段に続くのが、大蜈・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・町へ出て飲み屋へ行っても、昔の、宿場のときのままに、軒の低い、油障子を張った汚い家でお酒を頼むと、必ずそこの老主人が自らお燗をつけるのです。五十年間お客にお燗をつけてやったと自慢して居ました。酒がうまいもまずいも、すべてお燗のつけよう一つだ・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・などと、とりとめのない事を考えて居ると、水口の油障子が、がたごと云って、お金が帰って来た。 薄い毛を未練らしく小さい丸髷にして、鼠色のメリンスの衿を、町方の女房のする様に沢山出して、ぬいた、お金の、年にそぐわない厭味たっぷりの姿・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・白と黒の市松模様の油障子を天井にして、色とりどりの菊の花の着物をきせられた活人形が、芳しくしめっぽい花の香りと、人形のにかわくささを場内に漲らせ、拍子木につれてギーとまわる廻り舞台のよこに、これも出方姿の口上がいて、拍子木の片方でそっちを指・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・縁側から油障子のはまった水口が見え、その障子が開いていると、裏の生垣、その彼方の往来、そのまた先の×伯爵の邸の樫の幹まで三四本は見られる。 * お祖母さんの家はそのような家なのであった。二階があった。そこに叔・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
出典:青空文庫