・・・このような神経の異常を治療するのにいちばん手軽な方法は、講演会場から車を飛ばしてどこかの常設映画館に入場することである。上映中の映画がどんな愚作であってもそれは問題でない、のみならずあるいはむしろ愚作であればあるほどその治療的効果が大きいよ・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・ 物を言わない家畜を預かって治療を施す医者の職業は考えてみるとよほど神聖なもののような気がした。入院中に受けた待遇についてなんらの判断も記憶も持ち得ないし、また帰宅しても人間に何事も話す事のできないような患者に忠実親切な治療を施すという・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・それで医術がもっともっと進歩すると、精神のけがでもこれら天然の妙機を人工的に幇助することによって楽に治療できるようになるかもしれない。 自分が今ここでこんな空想を起こしているのも、事によると子供のけがでびっくりして少し頭が変になったせい・・・ 寺田寅彦 「鎖骨」
・・・早く歯医者にかかって根本的治療をすればよかったわけであるが、子供の時に味わった歯医者への恐怖がいつまでも頭に巣食っていたのと、もう一つには自分がその後に東京で出会った歯医者があまりぐあいのよくなかったのと両方のせいであったか、歯医者の手術台・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・とすれば、塵の都に住んで雑事に忙殺されているような人が僅少な時間をさいて心を無垢な自然の境地に遊ばせる事もできようし、長い月日を病床に呻吟する不幸な人々の神経を有害に刺激する事なしに無聊を慰め精神的の治療に資する事もできはしまいか。こういう・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・然し新都百般の経営既に成った後之を非難するは、病の膏盲に入った後治療の法を講ぜんとするが如きものであろう。東京の都市は王政復古の後早くも六十年の星霜を閲しながら、猶防火衛生の如き必須の設備すら完成することが出来ずにいる。都市のことを言うに臨・・・ 永井荷風 「上野」
・・・(東京で治療を受けていた医者は神田神保町に暢春医院の札を出していた馬島永徳という学士であった。暢春医院の庭には池があって、夏の末には紅白の蓮の花がさいていた。その頃市中 わたくしは三カ月ほど外へ出たことがなかったので、人力車から新橋の停・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・事件は内済にするには彼の負担としては過大な治療金を払わねばならぬ。姻戚のものとも諮って家を掩いかぶせた其の竹や欅を伐ることにした。彼は監獄署へ曳かれるのは身を斬られるよりもつらかった。竹でも欅でも何でも惜しくないと彼は思った。だが其頃はまだ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ とにかく僕は、最近漸くにして自己の孤独癖を治療し得た。そして心理的にも生理的にも、次第に常識人の健康を恢復して来た。ミネルバの梟は、もはや暗い洞窟から出て、白昼を飛ぶことが出来るだろう。僕はその希望を夢に見て楽しんでいる。・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・「お前は、そんな事を云うから治療費だって貰えないんだぞ。それに俺に食ってかかったって、仕方がないじゃないか、な、ちゃんと嘆願さえすれば、船長だって涙金位寄越さないものでもないんだ。それを、お前が無茶云うから、船長だって憤るんだ」 セ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
出典:青空文庫