・・・ただ、君を見送ってから彼が沼津へ写生にゆくということだけは、何度もきき返してやっとわかった。 そのうちに、気がついて見ると、船と波止場との距離が、だいぶん遠くなっている。この時、かなり痛切に、君が日本を離れるのだという気がした。皆が、成・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・ 振向いた運転手に、記者がちょっとてれながら云ったので、自動車はそのまま一軋りして進んだ。 沼津に向って、浦々の春遅き景色を馳らせる、……土地の人はと云う三津の浦を、いま浪打際とほとんどすれすれに通る処であった。しかし、これは廻り路・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 汽車が沼津へ着いた時である。「お願いです。この窓あけて下さいません?」 焼跡らしい、みすぼらしいプラットホームで、一人の若い洋装の女が、おずおずと、しかし必死に白崎のいる窓を敲いた。「窓から乗るんですか」 と、白崎は窓・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・佐吉さんの兄さんは沼津で大きい造酒屋を営み、佐吉さんは其の家の末っ子で、私とふとした事から知合いになり、私も同様に末弟であるし、また同様に早くから父に死なれている身の上なので、佐吉さんとは、何かと話が合うのでした。佐吉さんの兄さんとは私も逢・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ 三日まえから沼津の海へロケーションに来ています。私は、浪のしぶきをじっと見つめて居ると、きっとラムネが飲みたくなります。富士山を見て居ると、きっと羊羹をたべたくなります。心にもない、こんなおどけを言わなければならないほど、私には苦しい・・・ 太宰治 「花燭」
・・・子供はなかったが、奥さんの弟で沼津の商業学校にかよっているおとなしい少年がひとり、二階にいた。 お医者の家では、五種類の新聞をとっていたので、私はそれを読ませてもらいにほとんど毎朝、散歩の途中に立ち寄って、三十分か一時間お邪魔した。裏口・・・ 太宰治 「満願」
・・・ 三島大社では毎年、八月の十五日にお祭りがあり、宿場のひとたちは勿論、沼津の漁村や伊豆の山々から何万というひとがてんでに団扇を腰にはさみ大社さしてぞろぞろ集って来るのであった。三島大社のお祭りの日には、きっと雨が降るとむかしのむかしから・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・さとは、十三の時から、この入江の家に奉公している。沼津辺の漁村の生れである。ここへ来て、もう四年にもなるので、家族のロマンチックの気風にすっかり同化している。令嬢たちから婦人雑誌を借りて、仕事のひまひまに読んでいる。昔の仇討ち物語を、最も興・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・そうして東京、横浜、沼津、静岡、浜松、名古屋、大阪、神戸、岡山、広島から福岡へんまで一度に襲われたら、その時はいったいわが日本の国はどういうことになるであろう。そういうことがないとは何人も保証できない。宝永安政の昔ならば各地の被害は各地それ・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・折から畑に入るゝ肥料なるべし異様のかおり鼻を突きて静岡にて求めし弁当開ける人の胸悪くせしも可笑しかりける。沼津を過ぐれども雨雲ふさがりて富士も見えず。 御殿場にて乗客更に増したる窮屈さ、こうなれば日の照らぬがせめてもの仕合せなり。小山。・・・ 寺田寅彦 「東上記」
出典:青空文庫