一 ある春の午過ぎです。白と云う犬は土を嗅ぎ嗅ぎ、静かな往来を歩いていました。狭い往来の両側にはずっと芽をふいた生垣が続き、そのまた生垣の間にはちらほら桜なども咲いています。白は生垣に沿いながら、ふとある横町へ曲りました。が、そ・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・僕は電車の線路に沿い、何度もタクシイを往復させた後、とうとうあきらめておりることにした。 僕はやっとその横町を見つけ、ぬかるみの多い道を曲って行った。するといつか道を間違え、青山斎場の前へ出てしまった。それはかれこれ十年前にあった夏目先・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ペンキ塗りの校舎に沿いながら、もう一度庭を向うへ抜けると、海に面する運動場へ出た。土の赤いテニス・コオトには武官教官が何人か、熱心に勝負を争っている。コオトの上の空間は絶えず何かを破裂させる。同時にネットの右や左へ薄白い直線を迸らせる。あれ・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・市街を離れた川沿いの一つ家はけし飛ぶ程揺れ動いて、窓硝子に吹きつけられた粉雪は、さらぬだに綿雲に閉じられた陽の光を二重に遮って、夜の暗さがいつまでも部屋から退かなかった。電燈の消えた薄暗い中で、白いものに包まれたお前たちの母上は、夢心地に呻・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
一 このもの語の起った土地は、清きと、美しきと、二筋の大川、市の両端を流れ、真中央に城の天守なお高く聳え、森黒く、濠蒼く、国境の山岳は重畳として、湖を包み、海に沿い、橋と、坂と、辻の柳、甍の浪の町を抱い・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・、小宮山は紺飛白の単衣、白縮緬の兵児帯、麦藁帽子、脚絆、草鞋という扮装、荷物を振分にして肩に掛け、既に片影が出来ておりますから、蝙蝠傘は畳んで提げながら、茶店を発つて、従是小川温泉道と書いた、傍示杭に沿いて参りまする。 行くことおよそ二・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・瀬音の高い川沿いの、松並木の断続した馬糞に汚れた雪路を一里ばかりも行ったところが、そのG村であった。国道沿いながら大きな山の蔭になっていて、戸数の百もあろうかというまったくの寒村であった。 かなり長い急な山裾の切通し坂をぐるりと廻って上・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・溪沿いに大きな椎の木がある。その木の闇はいたって巨大だ。その下に立って見上げると、深い大きな洞窟のように見える。梟の声がその奥にしていることがある。道の傍らには小さな字があって、そこから射して来る光が、道の上に押し被さった竹藪を白く光らせて・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・敵は靉河右岸に沿い九連城以北に工事を継続しつつあり、二十八日も時々砲撃しつつあり、二十六日九里島対岸においてたおれたる敵の馬匹九十五頭、ほかに生馬六頭を得たり――「どうです、鴨緑江大捷の前触れだ、うれしかったねえ、あの時分は。胸がどきど・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・礫多き路に沿いたる井戸の傍らに少女あり。水枯れし小川の岸に幾株の老梅並び樹てり、柿の実、星のごとくこの梅樹の際より現わる。紅葉火のごとく燃えて一叢の竹林を照らす。ますます奥深く分け入れば村窮まりてただ渓流の水清く樹林の陰より走せ出ずるあるの・・・ 国木田独歩 「小春」
出典:青空文庫