・・・火鉢の向うに踞って、その法然天窓が、火の気の少い灰の上に冷たそうで、鉄瓶より低い処にしなびたのは、もう七十の上になろう。この女房の母親で、年紀の相違が五十の上、余り間があり過ぎるようだけれども、これは女房が大勢の娘の中に一番末子である所為で・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・で、辞退も会釈もさせず、紋着の法然頭は、もう屋形船の方へ腰を据えた。 若衆に取寄せさせた、調度を控えて、島の柳に纜った頃は、そうでもない、汀の人立を遮るためと、用意の紫の幕を垂れた。「神慮の鯉魚、等閑にはいたしますまい。略儀ながら不束な・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・二十一歳のときすでに法然の念仏を破折した「戒体即身成仏義」を書いた。 その年転じて叡山に遊び、ここを中心として南都、高野、天王寺、園城寺等京畿諸山諸寺を巡って、各宗の奥義を研学すること十余年、つぶさに思索と体験とをつんで知恵のふくらみ、・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・こそ自発的に読書への欲求を促すものである。法然はその「問い」の故に比叡山で一切経をみたびも閲読したのである。 書物は星の数ほどある。しかしかような「問い」をもってたち向かうとき、これに適切に答え得る書物はそれほど多いものではないのである・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・例えば第三十九段で法然上人が人から念仏の時に睡気が出たときどうすればいいかと聞かれたとき「目のさめたらんほど念仏し給へ」と答えたとある。またいもがしらばかり食った盛親僧都の話でも自由風流の境に達した達人の逸話である。自由に達して始めて物の本・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
出典:青空文庫