・・・ これだけ聞くと、大に悟っているらしいが、お徳は泣き笑いをしながら、僕にいや味でも云うような調子で、こう云うんだ。あいつは悪くすると君、ヒステリイだぜ。 だが、ヒステリイにしても、いやに真剣な所があったっけ。事によると、写真に惚れた・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・彼はむしろ呆気に取られて思わず父の顔を見た。泣き笑いと怒りと入れ交ったような口惜しげな父の眼も烈しく彼を見込んでいた。そして極度の侮蔑をもって彼から矢部の方に向きなおると、「あなたひとつお願いしましょう、ちょっと算盤を持ってください」・・・ 有島武郎 「親子」
・・・連れの職工から、旦那とか色男とか言われた手前もあり、もう、どうしたらいいか、表面は何とかごまかし、泣き笑いして帰りましたが、途中で足駄の横緒を踏み切って、雨の中をはだしで、尻端折りして黙々と歩いて、あの時のみじめな気持。いま思い出しても身震・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・もう少し複雑な方則が啓示されるときにわれわれはチェホフやチャプリンの「泣き笑い」を刺激され、もう一歩進むと芭蕉の「さびしおり」を感得するであろう。 叙事と抒情とによって文学の部門を分けるのは、そういう形式的な立場からは妥当で便利な分類法・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・思うにかのチェホフやチャプリンの泣き笑いといえどもこの点ではおそらく同様であろう。このようにして和歌の優美幽玄も誹諧の滑稽諧謔も一つの真実の中に合流してそこに始めて誹諧の真義が明らかにされたのではないかと思われる。 芭蕉がいかにしてここ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ よっぽど西にその太陽が傾いて、いま入ったばかりの雲の間から沢山の白い光の棒を投げそれは向うの山脈のあちこちに落ちてさびしい群青の泣き笑いをします。 有平糖の洋傘もいまは普通の赤と白とのキャラコです。 それから今度は風が吹きたち・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・あちこちの木がみなきれいに光り山は群青でまぶしい泣き笑いのように見えたのでした。けれどもキッコは大へんに心もちがふさいでいました。慶助はあんまりいばっているしひどい。それに鉛筆も授業がすんでからいくらさがしてももう見えなかったのです。ど・・・ 宮沢賢治 「みじかい木ぺん」
・・・姉妹は再び泣き笑いながら、擁きあった互の頬を重ね合うところで、この物語は終っている。 年ごろの娘心と母の恋愛との感情のもつれが描き出されているところが、この映画へ多く女の人の注意をあつめていると思う。イレーネの母は、四十歳前後の年ごろで・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・ そんなにゴーゴリの泣き笑いとはちがう若く確信に満ちた哄笑が響いていながら、なお、この「黄金の仔牛」の読者が、しばしば、ああイリフ、ペトロフは、さすがゴーゴリの出た国の人間だけある、と思わざるを得ないというのも、実に意味ふかい実感だと思・・・ 宮本百合子 「音楽の民族性と諷刺」
・・・ このことは、しかし、日本におけるヒューマニズムのたださえかがみかかって現れて来ている腰を、一層弱くし、泣き笑いの人生へ人間らしさを追い込む危険を導き出したと共に、更に『文学界』などの論として、民衆は現実に対して批判精神などはちっとも必・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
出典:青空文庫