・・・ 確かに今乗った下らしいから、また葉を分けて……ちょうど二、三日前、激しく雨水の落とした後の、汀が崩れて、草の根のまだ白い泥土の欠目から、楔の弛んだ、洪水の引いた天井裏見るような、横木と橋板との暗い中を見たが何もおらぬ。……顔を倒にして・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・外海小湖に泥土の鬼畜、怯弱の微輩。馬蛤の穴へ落ちたりとも、空を翔けるは、まだ自在。これとても、御恩の姫君。事おわして、お召とあれば、水はもとより、自在のわっぱ。電火、地火、劫火、敵火、爆火、手一つでも消しますでしゅ、ごめん。」 とばかり・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 現代では、日本の新しい女性は科学と芸術とには目を開いたけれども、宗教というものは古臭いものとして捨ててかえりみなかったが、最近になって、またこの人性の至宝ともいうべき宗教を、泥土のなかから拾いあげて、ふたたび見なおし、磨き上げようとす・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・地方でそれが何月何日ごろに当たるであろうということを的確に予知することは今の地震学では到底不可能であるので、そのおかげで台湾島民は烈震が来れば必ずつぶれて、つぶれれば圧死する確率のきわめて大きいような泥土の家に安住していたわけである。それで・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・しかしそういう場合に、もし感情は感情として、ほんとうの学問のために冷静な判断を下し、泥土によごれた玉を認めることができたら、世界の、あるいはわが国の学問ももう少しどうにかなるかもしれない。 日本人の仕事は、それがある適当な条件を備えたパ・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・粗末な泥土塗りの田舎家もイタリアと思えばおもしろかった。古風な木造の歯車のついた粉ひき車がそのような家の庭にころがっているのも珍しかった。青い海のかなたにソレントがかすんで、絵のような小船が帆をたたんで岸に群れているのも、みんなそれがイタリ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 私は着物についた泥土をはらって、もう一度お辞儀した。すると、そのとき奥さんや女中さんのうしろで、並んでみていた子供のうちから誰れかが出てきて、「オイ、徳永くん」 と耳許で云った。おどろいて私が顔をあげると、それが同級生の林茂だ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ ところが、他の一方には、同じ東京という一つの都会であっても全く異った自然の眺めをもち、あるいはほとんど自然のながめと呼ぶこともできないような煤煙だらけの空、油の浮いて臭い河面、草も生えない泥土の中に生きているおびただしい勤労生活者の人・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・仏教美術がそこで作られたことももちろんであるが、木材や石材に乏しいこの地方において、漆喰と泥土とを使う塑像のやり方が特に歓迎せられたであろうことも、察するに難くない。とすれば、タリム盆地は、アフガニスタンに次いで塑像を発達させた場所であった・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫