・・・あれは学者と言って、死んだ天才にめいわくな註釈をつけ、生れる天才をたしなめながらめしを食っているおかしな奴だが、おれはあれを見るたびに、なんとも知れず眠たくなるのだ。あれは女優と言って、舞台にいるときよりも素面でいるときのほうが芝居の上手な・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・山岸さんは註釈を加えて、「僕のうちでも、林檎と駒下駄をもらった。林檎はまだ少しすっぱいようだから、二、三日置いてたべるといいかも知れない。駒下駄は僕と君とお揃いのを一足ずつ。気持のいいお土産だろう?」 弟さんは遺稿集に就いての相談も・・・ 太宰治 「散華」
・・・私は、その少数の友人にも、自作の註釈をした事は無い。発表しても、黙っている。あそこの所には苦心をしました、など一度も言った事が無い。興覚めなのである。そんな、苦心談でもって人を圧倒して迄、お義理の喝采を得ようとは思わない。芸術は、そんなに、・・・ 太宰治 「自作を語る」
・・・ 古池や蛙とびこむ水の音 音の聞えてなほ静かなり これ程ひどくもないけれども、とにかく蛇足的註釈に過ぎないという点では同罪である。御師匠も、まずい附けかたをしたものだ。つき過ぎてもいかん、ただ面影にして附くべし、なんて・・・ 太宰治 「天狗」
・・・ 時々アインシュタインに会って雑談をする機会があるので、その時々の談片を題目とし、それの注釈や祖述、あるいはそれに関する評論を書いたものが纏まった書物になったという体裁である。無論記事の全責任は記者すなわち著者にあることが特に断ってある・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ 写実主義、自然主義といったような旗じるしのもとに書かれた作品については別に注釈を加える必要はない。すでにそれらのものは心理学者の研究資料となり彼らの論文に引用されるくらいである。 一見非写実的、非自然的な文学であってもよくよく考え・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・その度ごとに本屋の書架から手頃らしいと思われる註釈本を物色しては買って来て読みかけるのであるが、第一本文が無闇に六かしい上にその註釈なるものが、どれも大抵は何となく黴臭い雰囲気の中を手捜りで連れて行かれるような感じのするものであった。それら・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・演芸風聞録の頭のいい記者はたぶんこの意味で書いたに相違ないのであるが、これにこれだけの注釈をつけることも出来るのである。 二 玉虫 夏のある日の正午駕籠町から上野行の電車に乗った。上富士前の交叉点で乗込んだ人々の中・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ われわれの子供の時分にはおとぎ話はおとぎ話としてなんらの注釈なしに教わった。そうして実に同じ話を何十回何百回も繰り返して教わったものである。そうしてそれらの話の中に含まれている事実と方則とがいつとなく自然自然と骨肉の間にしみ込んでしま・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・を白日の明るみに引きずり出してすみからすみまで注釈し敷衍することは曲斎的なるドイツ人の仕事であったのである。芸術のほうでもマチスの絵やマイヨールの彫刻にはどこかにわれわれの俳諧がある。これがドイツへはいると、たちまちに器械化数学化した鉄筋式・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫