・・・わたくしがこの文についてここに註釈を試みたくなったのも、滄桑の感に堪えない余りである。「忍ヶ岡」は上野谷中の高台である。「太郎稲荷」はむかし柳河藩主立花氏の下屋敷にあって、文化のころから流行りはじめた。屋敷の取払われた後、社殿とその周囲・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・という註釈が加えてあるところをもって見ると、自分でもそう旨いとは考えていなかったのだろう。子規がこの画を描いた時は、余はもう東京にはいなかった。彼はこの画に、東菊活けて置きけり火の国に住みける君の帰り来るがねと云う一首の歌を添えて、熊本まで・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・めか、昨日から人と車を天然自然ところがすべく特にこの地を相し得て余を連れだしたのである、 人の通らない馬車のかよわない時機を見計ったる監督官はさあ今だ早く乗りたまえという、ただしこの乗るという字に註釈が入る、この字は吾ら両人の間にはいま・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・私の頃は高校ではドイツ語を少ししかやらなかったので、最初の一年は主として英語の注釈の附いたドイツ文学の書を読んだ。 その頃の哲学科は、井上哲次郎先生も一両年前に帰られ、元良、中嶋両先生も漸く教授となられたので、日本人の教授が揃うたのだが・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・誦するにも堪えぬ芭蕉の俳句を註釈して勿体つける俳人あれば、縁もゆかりもなき句を刻して芭蕉塚と称えこれを尊ぶ俗人もありて、芭蕉という名は徹頭徹尾尊敬の意味を表したる中に、咳唾珠を成し句々吟誦するに堪えながら、世人はこれを知らず、宗匠はこれを尊・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・つけ加えて、社会主義的リアリズムというのは、一定のグループが自説を押しつける強制的なものではないし、それぞれの国がそれぞれの社会の現実に即して、人民が人民のための文学をつくってゆくことを意味するという註釈をくりかえした。質問者は、シーモノフ・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・ Y、問答をきいて居て、註釈を加えた。「御堂ですよ」「ああ御堂!」 すっかり笑い乍ら、近路を行く。暫くすると右手の高台に、まだ新しく、壮大な堂が見えて来た。この堂の建設のために、信徒は三十年も応分の寄附を怠らず、或者は子を大・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・と、註釈を加えた。――少女は育ちのよい娘らしく、わだかまりない容子で、「ああ、御堂!」と叫んだ。御堂なら、橋を渡った方が近いのだそうだ。 赤土の泥濘を過ぎ、短い村落の家並にさしかかった。道のところどころに、雨あがりの大きい泥・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・しかしながら、歴史上権威ある人々の書簡には或る場合註釈が必要とされるように、現段階にたってエンゲルスのこの書簡が読まれるについては矢張り幾つかの短い脚註の必要がさけ難いと思われる。 例えばエンゲルスは、この手紙において、バルザックが「真・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・と思うと、跡から大きな盥が運ばれた。中には鮓が盛ってある。道行触のおじさんが、「いや、これは御趣向」と云うと、傍にいた若い男が「湯灌の盥と云う心持ですね」と注釈を加えた。すぐに跡から小形の手桶に柄杓を投げ入れたのを持って出た。手桶からは湯気・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫