・・・横浜のイギリス埠頭場へ持って来て、洋行を送る処にして見た。やはり落ちつかぬ。月夜の沖遠く外国船がかかって居る景色をちょっと考えたが、また桟橋にもどった。桟橋の句が落ちつかぬのは余り淡泊過ぎるのだから、今少し彩色を入れたら善かろうと思うて、男・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・なし〕どうしてかと云うともし山男が洋行したとするとやっぱり船に乗らなければならない、山男が船に乗って上海に寄ったりするのはあんまりおかしいと会長さんは考えたのでした。 さてだんだん食事が進んではなしもはずみました。「いやじっ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・父の洋行留守、夜番がわりにと母が家で食事を与えて居たと云うに過ぎなかったのではなかろうか。その頃の千駄木林町と云えば、まことに寂しい都市の外廓であった。 表通りと云っても、家よりは空地の方が多く、団子坂を登り切って右に曲り暫く行くと忽ち・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・当時、父は洋行中の留守の家で、若かった母は情熱的な声でそれらの唱歌を高くうたった。母自身は娘時代、生田流の琴と観世の謡とをやって育ったのであった。 九つになった秋、父がロンドンからかえって来た。その頃のロンドンの中流家庭のありようと日本・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・高等学校の学生であった頃から父の洋行したい心持はつよく、ロンドンやパリの地図はヴェデカの古本を買って暗記する位であった由。この知識が偶然の功を奏して、当時富士見町の角屋敷に官職を辞していた老父のところへ、洋行がえりの同県人と称して来て五十円・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・ 其の時分父が洋行して長い留守中だったので、思い掛けず此の叔父の帰宅した事はどの位私にとって嬉しい事で有ったか分らない。 私は喜びで夢中になった。 そして、朝から晩まで肩にすがったり、手にブラ下ったりしながら、海のむこーに在ると・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・その時分の洋行がえりは今では想像も出来ないほどハイカラなものであった。父もそのようにハイカラになって帰って来たのだが、母との間には、過去五年間のまるでかけはなれた生活の条件から来た感情のぴったりしないところがあった。母は父のハイカラぶりをど・・・ 宮本百合子 「母」
・・・ ―――――――――――――――― 秀麿は卒業後直に洋行した。秀麿と大した点数の懸隔もなくて、優等生として銀時計を頂戴した同科の新学士は、文部省から派遣せられる筈だのに、現にヨオロッパにいる一人が帰らなくては、経費が・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・一人は富田という市病院長で、東京大学を卒業してから、この土地へ来て洋行の費用を貯えているのである。費用も大概出来たので、近いうちに北川という若い医学士に跡を譲って、出発すると云っている。富田院長も四十は越しているが、まだ五分刈頭に白い筋も交・・・ 森鴎外 「独身」
それがしの宮の催したまいし星が岡茶寮のドイツ会に、洋行がえりの将校次をおうて身の上ばなしせしときのことなりしが、こよいはおん身が物語聞くべきはずなり、殿下も待ちかねておわすればとうながされて、まだ大尉になりてほどもあらじと・・・ 森鴎外 「文づかい」
出典:青空文庫