-
・・・ とは云え、紅葉山人は外国のものも沢山こなして居られたのではあるが、一般的に海外の文学的思想が流入して居なかったから、よし書かれたとしても、「此のぬし」「おぼろ舟」等の様な賞讚は或は受けられなかったかもしれない。 時代のためも有ろう・・・
宮本百合子
「紅葉山人と一葉女史」
-
・・・ないのであるが、しかしタリム盆地で発達した芸術や宗教がシナの本部の方へ入り込んで来る際に、敦煌から蘭州を経て長安や洛陽の古い文化圏に来たことは確かであろうし、蘭州と長安との中ほどにある麦積山がこの文化流入の通路にあって、いち早くその感化を受・・・
和辻哲郎
「麦積山塑像の示唆するもの」