・・・禅か、法華か、それともまた浄土か、何にもせよ釈迦の教である。ある仏蘭西のジェスウイットによれば、天性奸智に富んだ釈迦は、支那各地を遊歴しながら、阿弥陀と称する仏の道を説いた。その後また日本の国へも、やはり同じ道を教に来た。釈迦の説いた教によ・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・所詮人界が浄土になるには、御仏の御天下を待つほかはあるまい。――おれはそう思っていたから、天下を計る心なぞは、微塵も貯えてはいなかった。」「しかしあの頃は毎夜のように、中御門高倉の大納言様へ、御通いなすったではありませんか?」 わた・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・……亡きあとでも、その常用だった粗末な手ぶんこの中に、なおざりにちょっと半紙に包んで、といけぞんざいに書いたものを開けると、水晶の浄土珠数一聯、とって十九のまだ嫁入前の娘に、と傍で思ったのは大違い、粒の揃った百幾顆の、皆真珠であった。 ・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・根を掘上げたばかりと思う、見事な蓮根が柵の内外、浄土の逆茂木。勿体ないが、五百羅漢の御腕を、組違えて揃う中に、大笊に慈姑が二杯。泥のままのと、一笊は、藍浅く、颯と青に洗上げたのを、ころころと三つばかり、お町が取って、七輪へ載せ、尉を払い、火・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・当時の仏教は倶舎、律、真言、法相、三論、華厳、浄土、禅等と、八宗、九宗に分裂して各々自宗を最勝でありと自賛して、互いに相排擠していた。新しく、とらわれずに真理を求めようとする年少の求道者日蓮にとってはそのいずれをとって宗とすべきか途方に暮れ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・坊さんは、××大将は浄土だが、私は真言だからというので、わざわざ真言の坊さんを二人まで呼んで、忰のためにお經をあげて下すったがやすよ。 それから、つい近年まで、法事のあるたんびに、日が同じだからと云うんで、忰の方も一緒にお供養下すって、・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・われ今浄土ワルハラに帰る、幻影の盾を要せず。百年の後南方に赤衣の美人あるべし。その歌のこの盾の面に触るるとき、汝の児孫盾を抱いて抃舞するものあらんと。……」汝の児孫とはわが事ではないかとウィリアムは疑う。表に足音がして室の戸の前に留った様で・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・『歎異抄』に「念仏はまことに浄土に生るゝ種にてやはんべるらん、また地獄に堕つべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり」といえる尊き信念の面影をも窺うを得て、無限の新生命に接することができる。・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・仏教の日本化を最も力強く推し進めて行ったのは阿弥陀崇拝であるが、この崇拝の核心には、蓮華の咲きそろう浄土の幻想がある。そういう関係から蓮華は、日本人の生活のすみずみに行きわたるようになった。ただに食器に散り蓮華があるのみでない。蓮根は日本人・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫